★ファインダーの世界

故・並河氏を偲びつつ

今月8日、著名な写真家がまた一人逝った。
その人の名は並河萬里氏。
彼は中近東のシルクロードの遺跡をモチーフに、撮り続けていた。

写真鑑賞が趣味の一つであるわたしは、確か5年前に行った
シルクロード写真展で、彼の写真と出会った。
どこもかしこも圧倒される写真の数々。
色んな写真家がいる中、並河氏の写真は歴史を語っているかの
ように感じた。
最も、彼は文化財の保存に力を入れていたのだから、歴史的
背景を感じるのは当たり前かもしれない。
戦争写真家のロバート・キャパ氏や一ノ瀬泰造氏は戦火に生きる
人たちの生き抜こうとする必死さ、悲惨きわまる戦争の真実を
ファインダーを通して訴えていた。
並河氏の写真が写し出すその遺跡からは、今の生活の恩恵を
感じさせる文明の偉大さを感じ取ることができる。

彼の写真の中に、忘れられない一葉の写真がある。
イランの遺跡だったと思うが、その遺跡へ上る階段の写真。
それは、下からの絶妙なアングルで撮ったもので、澄みわたる
青空がその階段と素晴らしいほどに調和していた。
電撃が走り、しばし、時が止まり、遺跡が作られた時代へと
タイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
まるで自分がその場にいて、まさに階段をのぼらんとしている。
階段をのぼっていったら、どのような展開が待ち構えているの
だろうかー。
重ねあげられている石階段からは、文明の偉大さも感じさせ
られ、自分の中にしっかりと刻み込まれていくそんな写真だった。

写真家が真剣な目でファインダーをのぞき、今だとシャッターを
押す数千分の一秒の瞬間、そこに写し出されたものに、わたし
たちは何を感じ、何を刻み込んでいくのか。
個々に違うであろうが、たった一葉の写真でもわたしたちの
生命に訴えるものは、計り知れない。

並河氏は日本も撮り続けていたと最近知り、早速写真集を見て
みようと思う。日本の歴史観も感じながら・・・。

最後に、並河氏のご冥福を心よりお祈りして。

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自然との共生

世界報道写真展2005とともに、
世界文化遺産写真展「アンコールと生きる」を
見てきた。

写真展に一歩入ると、白黒の大写真が貼られていて、
一瞬、アンコールにワープしたかの錯覚に陥ってしまった。

その中でも、スポアンという樹木に私は圧倒されていた。

バイヨンという仏の顔が100以上もあり、どれもみな

表情が違うことに気づかされる。

焼き鳥屋と称した写真があって、おばさんが“焼き鳥”を
握っていた。その写真をみて、驚いた。

日本のように、小さく切って焼くのではなく、鳥を丸ごと
焼くそのもの
だった。
日本の感覚では、通用しなかった・・・。

その写真から、カンボジアの国の生活文化が窺えた。

アンコールを想い、アンコールの地に散った戦争写真家の
一ノ瀬泰造氏の墓の写真もあった。

これらの作品を手がけた写真家・BAKU斉藤さんは

「森が朽ちると、遺跡も朽ちる。」と言う。

その言葉の意味がわかったように思う。

アンコールの遺跡は、森によってしっかりと支えられている。
アンコールの遺跡の歴史、呼吸は森という大自然の営みの
中に
生きている。
自然との共生・・・

自然こそ、偉大な芸術家であると感じた。

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北周壁門西尊顔
(アンコール遺跡郡夕・プロム僧院)
(c) Baku Saito

世界文化遺産写真展「アンコールと生きる」 
http://www.baku1.com/event/ebisu2005/index.html

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写真から見えるもの

東京写真美術館で開催されている「世界報道写真展2005」へ
足を運んできた。


津波で親族を亡くし遺体の傍で嘆く姿。
襲いかかる砂嵐に怯える人。

転覆した船から放り投げだされ、必死の形相で助けを求める顔など。

2004年、世界中で起こった予期せぬ天災や紛争などの写真が

展覧されていた。

写真の中には、目を覆いたくなるような悲惨なものもあった。
私は決して目を逸らさず、これらは、本当に起こっている事実
なんだと、一点一点見ていった。

胸詰まされる思いがしたが、それとともに自分の命について
改めて考えさせられた。


紛争や被災地で活躍する報道カメラマンに対する考え方には、
両極端あるように思う。

1つは、「わざわざあんな惨い写真を撮らなくても・・・」という考えと、
もう1つは「このような事実を伝える写真があるから、生命や平和に
ついて省みることができる」というもの。

私は、後者に近い考えを持つ。

実際、テレビや新聞等で、テロや災害の様子は知っていた。
だが、そこから、伝わるものには限界がある。

報道写真でしか伝えられないものがある。

それは---- 」である。

私がこのような報道写真を通して感じることは、
写真に写る
人々の怒りや嘆き、悲しみの「」であり、
カメラをもち命を
かけて私たちに何かを伝えようとする
カメラマンたちの「」、

そしてそれを受けて感じている自分の「」である。


写真を通して、みなさんも色々な「を感じてみませんか。

東京写真美術館  http://www.syabi.com/

世界報道写真展2005
http://www.syabi.com/schedule/details/worldpressphoto2005.html

world

アルコ・ダッタ (インド、ロイター)
「スマトラ沖地震による津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」(C) Arko Datta

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