★つぶやき

ありがとう、石川県!

スペインから帰国し、仕事の引継ぎなどやることに追われて、
スペイン報告がまだ出来ていません。
気長に待ってください・・・

石川ろう協会に勤めて2年たとうとする今、渡米に向けて、
今日より1年間休職に入りました。
私の感性を更に伸ばしてくれた石川県、そして北野施設長
を始め、全ての方に感謝の思いで一杯です。
昨日まで働いていたのが、不思議な気持ち・・・。

職員の皆さん、石川ろう協会の皆さん、手話講座の受講生
たち、ろう児たち、ろう児をもつ保護者方々、手話通訳、手話
サークルの方たち、一人一人全ての方々が私の心に刻まれて
います。
大変お世話になりました。
Karryは自分の人生の第二章の扉を開きます。

昨夜、ろう協会を中心とした壮行会を開いていただき
ありがとうございました!
皆さんがモデル事業で更に学習したい意欲と深い信頼を
寄せていただいていたことが分かっただけでも本当に
嬉しいです。
それから、皆さんの心にKarryが住んでいたこともわかり、
本当に本当に感動でいっぱいです。
特に一人ひとりのメッセージが私の心に響き、必死に涙を
こらえましたよ。
石川県の追い風になれたのだ・・・と思ったと同時に、皆さん
より沢山学ばされた私です。感謝したいのは私のほうです。

Kazuo_2 司会進行の鴻野手話対策部長



Kitano_2 石川のママでもある北野施設長



Minami_2 当法人の南武理事長
左は吉岡教育対策部長


All01_3参加者の皆さんと(1)



All02_2 参加者の皆さんと(2)





モデル事業は今後吉岡真人さん、鴻野一緒さんを中心に
展開していきますが、より一層ご支援のほど、よろしくお願い
します。
石川県が成長すると、日本への追い風になることは間違い
ないと思います。
皆さん、好きだよ!ありがとう!!

今から渡米に向けて準備をし、8月半ばに出発します。
よって今夜金沢を発ちます。
寂しい気持ちも入り混じっているけど、1年後、成長した姿で
会おうよ!

石川県聴覚障害者センターのブログも見てください★
http://ishikawa-deaf.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0970.html

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小さな日米交流

先週、アメリカにあるサンタモニカのろう高校生、ジーオ君が
はるばる金沢に来た。
どうして、金沢?と思われる人もいるかと思うが、
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校(CSUN)に留学して
いる小林洋子さんの紹介で、ジーオくんは金沢を訪れた
のだ。
洋子さんとは、昨年秋、ノースリッジ大学で私が講義をした
時に大変お世話になった。

その後、ジーオくんの両親と洋子さんの願いもあり、わたしも
日米交流のお手伝いが出来ればと便乗させていただいた。

Dsc03464彼は日本が大好きで、日本語、そして日本
手話を家庭教師である洋子さんから学び、
独学で日本の歴史を勉強しているそうだ。
ホームスティ先の北野家に到着し、和室に
通した途端、パパに「これは本物の畳ですか?
畳とコザの違いは何ですか?」と質問し、
パパは面を食らっていた。

私は、週に1回、石川県立ろう学校高等部、専攻科の自立
活動の時間に「ろう者学」と称して手話をはじめ、色々と
指導をしている。
その時間を使って、ジーオ君と石川県のろう高校生との交流を
図りたいと先生に申し出たところ、快く引き受けてくれ、実現
することができた。感謝!

Geao彼は「アメリカの高校生の一日」と題して、
日米教育システムを流暢にプレゼンして
くれた。


生徒達の反応は・・・
「え?アメリカは朝7時半から始まるの?石川は8時半から
だよ。」
「学校まで1時間半かけて毎日通うことはすごいな!」
「ラテン語まで勉強するの?」
「試験は2回なの?日本は3回あるから、そっちのほうが
楽だなあ」
しかし、ジーオくんは
「2回だからこそ大変だよ。試験に落ちたら、日本みたいに
追試はないんだ。自己責任になる」と。
色々と盛り上がり、50分間が有効な時間になった。

広島ろう学校(今は名前が変わって広島南特別支援校)へも
交流に行き、そして今日は奈良ろう学校と、全国各地のろう
学校を訪問すると聞いている。
小さな交流がどんどん広がっていくことを祈念してー。
この小さな交流がきっと大きなものをもたらしてくれるだろう。

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至福!!

すっかりご無沙汰しました。
世界ろう者会議の講演準備、米国留学の準備、仕事、様々な
活動に追われて、気持ちもなぜか焦りがちになってしまう自分
がいる。
でも、忙しさに追われながらも残された日本生活、そして金沢
での生活を有意義に毎日を過ごしている。

先日、東京で働いていたとき、お世話になった方が所用で
金沢に来られると連絡が入り、一緒に食事をしようと再会の
約束をした。
金沢生活も2年たとうとしているはずだが、おいしいところも
あまり知らず、店の設定はその食事会に参加する友人に
任せた。

金沢市より車で走ること15分。
野々市町にある料理店「山ごぼう」に落ち着き、3年ぶりの
再会に乾杯をした。
食事はコース料理になっていて、前菜からはじまり、
デザートまでの大満喫のフルコース。
あまりにもおいしかったので、ここで、ちょっとご紹介。

Yamabiko1_1 まりも梅のシロップ漬け
(中央・めちゃおいしい!)
左より時計回りに、蕗のみそ、ジュンサイ、
ゴマ豆腐、鮭の手毬寿司(ほおずきの中)、
豆腐の粕漬け、沢かに??(初めて食べたぞ)

Yamabiko2グレープフルーツを器に、山菜の味噌和えの
組み合わせ。最初はフルーツに味噌・・・?
奇抜な組み合わせだなと思いつつ、口に運んだ
途端、グレープフルーツの甘酸っぱさが、意外
にもいい具合で口直しになる。

Yamabiko3最後は、デザート。作りたてのわらび餅!!
極上の食感に、きなことあんみつが加わり、
絶妙な「和」の味を造り上げてくれる。
わらび餅が透き通って濃緑の葉が写り、視覚
からもその味を堪能した。

店主は食器も食材も店の雰囲気も一つ一つ繊細に選んでいる
ので、束の間の北大路魯山人気分を味わえた。
人にも出会いがあるように、食べ物にも出会いがある。
こうした食べ物との出会いに幸せを感じる。
そして、食べ物を通して一緒にいる相手と食事しながら深く
語り合えることへも幸せを感じる。
ここにまた、生きていることの幸せを噛み締める。

東京よりはるばる来た知人は、人生を長く生きている分、
これから海外へ羽ばたく私に明確な指針を頂いた。
人生をより多く生きた人の言葉は、どれもこれも重みがある。

正直言うと、決意しては、些細な不安によってまた揺れる。
そして、自分に言い聞かせてはまたやりきるぞ!という
気持ちにもなる。
この気持ちの行程を経ながら、「あ~、私も人間なんだなあ!」

料理のおいしさも重なり、久々の再会に心から「至福の時だ!」
と。短い時間であったが、これもまたありがとう。
私って、ホントにしあわせもんや!!

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Karry 世界を駆ける!

世界ろう者会議に引き続き、みなさんに報告したいことがある。
このたび、愛の輪基金・ダスキン障害者リーダー育成海外研修
27期生として、この夏から1年間、米国ギャローデット大学へ
留学します!

まずは、留学に際し、多大なるご理解ご協力いただいた沢山の
方々へ感謝を申し上げたい。
私を理解してくださった北野施設長、石川県聴覚障害者協会
南武理事長をはじめ、石川県の方々、しゅわえもん関係の
皆さま、宝友・友人たち、愛の輪基金関係者たち・・・
そして、人生の指針を示してくださったわが師匠、最後に
愛する家族に感謝の思いを最大に込めて、
「本当にありがとうございました!」

協力いただいた方々のことも含め、今まであった過程の
全てを振り返った今、「偶然は必然である」
この言葉がガツンと胸に入った。
決して偶然にもこの留学が決まったのではない。
全てに意味があり、それが全て自分に還元されてきたのだ。

留学のために目下必要な手続きをしているが、思いの外、
大変・・・。しかし、そこまで漕ぎ着けるための過程こそが
未来を盤石なものにする。
留学は、自分が試されることにもなるとも思っている。
だからこそ、今の段階から、一つ一つ大切に積み上げて
いきたい。
まだまだ手続きが残っている部分もあるので、正式に終了
次第、詳細を報告したく思う。

私の母校・創価大学の創立者の指針に
「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」
For what purpose should one cultivate wisdom?
May you always ask yourself this question!

その言葉が私自身の脳と心を刺激している。
常に「何のため?」と問いながら、思索を練っていきたい。
そして、どんな起伏があっても、報恩感謝の気持ちを忘れず、
信念を突き通していく。

P.S 
今まで「教育団体しゅわえもん」として活動して参りましたが、
5月2日にNPO法人認証を頂き、この度「NPO法人しゅわえもん
として、新体制でスタートすることとなりました!
新たな出発の元、スタッフ一同、これからも邁進して行きます
ので、引き続き宜しくお願いします。

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時間

一年365日、一日24時間、1時間60分・・・。
それがアンドロメダ銀河太陽系地球に住む私たちの揺るぎ
ない法則である。

子どもの頃は一日がとても長く待ち遠しい思いを抱いたが、
高校を卒業してからは急速に時間が過ぎてしまう錯覚に
陥ってしまう。
「時」は不変の真理をもつが、環境や年齢などによって、
変化しゆくように感じるのは、なぜだろうか。

一日24時間じゃなく、28時間、36時間あればいいのに・・・
とよく現実離れした戯言を聞く。
もし、そうであれば、また別の視点や価値観が生まれるだ
ろうが、そういうことを言う人は、毎日が精一杯で何かに
追われて一日を過ごしているだろう。

かつての私も、課題や目標に追われて一日があっという間
に終わってしまうことがあった。
掲げた目標に自分の処理能力が追いつかず、私自身が
混乱、落ち込むこともしばしばあった。
そのときに限って、自ずと自省をする。
心の持ちようで、一日をどう過ごすか、価値のある一日を
いかに過ごせるかにかかるのではないかと最近思うように
なった。
忍耐強く、自分の心をコントロールするポジティブな思考力
が必要になる。

「時」は人生に比例してくる。
人生は「運」もつきものだが、最大のポイントは「努力」に
よって価値観を生み出す。
どういう努力を重ねていったのかは、最終的に「時」が証明
する。だから今この「時」をうまく運用していこう。
将来につなぐ貴重な「時」を私は賢明に過ごしていきたい。

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能登半島震災支援

金沢の桜は今五分咲きです。週末か来週辺りには満開で
金沢を華やかにしてくれるでしょう。
四季とりどり魅せる兼六園の風情が、私の心を躍らせます。

能登半島震災は大きな爪あとを残したが、逞しくも現地に
暮らす人たちは「能登魂・人間魂」で復旧に向けて歩んで
いる。
先週「能登半島震災聴覚障害者対策本部」の支援隊として
輪島市へ2日間赴いた。
錯綜とした思いを抱きながら、早朝車を走らせた私を一掃
したのが、七尾湾に面した美しい景観。
ちょうど朝日がのぼっていて、波全体が銀波となり、一際
輝いていた。閉鎖湾岸のため波もおだやかで、のどかな
景色。連なる蛇行カーブを走行しつつ、一旦車を止めて、
七尾湾を照らす陽を私も一身に浴びたかったが、ここは
業務で来ている。
後ろ髪を引かれながらも、穴水経由で輪島へ向かった。
自然は本当に不思議なものだ。
その景観だけで、私の不安は一蹴されていた。

8時半輪島市役所に到着。緊張感漂う中、福祉課へ。
福祉課職員、県保健士、県センター職員、奥能登ろう協会
役員、手話通訳士と対面し、動きを確認、即対応に入った。

耳が聞こえない分、放送など音声で流している内容が行き
届かず、置き去りにされがちである。
能登という地は過疎化されていて、地域から孤立している
聴覚障害者もいるのかもしれない。
一日目は個人宅へ家庭訪問、2日目は避難所まわりと業務
を全うしてきた。

聞こえない人といっても様々なスタイルがある。
手話を媒体に生きるろう者、音声と聴覚に生きる難聴者、
加齢による老人性難聴と未就学のろう者。
それぞれのニーズに応じた支援と整理をしていきた。

倒壊した家、陥没した道路、倒れた石灯籠、鳥居、土砂崩れ
など、活動層プレートに関連があるのか、地域によって被害
度が違っていた。特に輪島市門前地域がひどかった。
ご存知のとおり、日本は地震大国である。
地震活動が活発だろうか、不活発だろうか、「地震はどこで
も起きうる」ことを肝に命じておかねばならない。
能登に限らず、今まで起きた大震災を教訓に対策システム
作りはもちろんのこと、社会的弱者におかれる防災ネット
ワーク体制の整備も忘れてはならない。
それに個々における意識向上も地震大国・日本に住む最低
の心構えにかかる。

今回の支援活動に赴いて感じたことがあった。
震災は当然の如く、全てをパニックに陥れる。
役所で働いている人も当然ながら被災者の1人である。
それでいて、仕事で市民救済、支援にと奔走する姿勢に熱い
思いを感じたが、疲労の蓄積は否めない事実である。
対策に追われる方々の体に懸念を抱きつつも、そういった
方々の働きにより、それぞれの家庭は地域につなげ、地域が
行政につなげていくことの大切さを学ばされた。

被災者の心身のケアや、避難所や仮設住宅を中心とした
新たなコミュニティ作り、聴覚障害者へのネットワーク体制、
倒壊・破損した家の修理・改築、また個々に重くのしかかる
精神的ストレスの排除など、取り組まなければならない課題
が沢山あるだろうと思う。
「頑張れ」ということはたやすいけど、現地の人はそうはいか
ないところもある。
しかしながら震災をバネにして、プラス的発想に切り替えて
みれば今まで手を出せなかった課題を震災だからこそ取り
組めたと考えたい。
周囲が支えていくことも大切であろう。

回ってきた人たちの語りを一つ一つ思い出しながら、沈黙
漂う能登の夜、車を走らせ、金沢へ向かった。
夜遅くに対策本部の待つ県センターに着き、皆さんの顔を
見た途端、緊迫した気持ちから、ホッとしたのか一気に気
が抜けた自分がいた。

次回は能登支援で感じたカルチャーショックを書こうと思う。

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やった~!ありがとう!!

世界ろう者会議教育部門の基調講演のレジュメ(日本語/英語)
が出来、大会事務局に無事提出できました!!
皆さんの叱咤激励、誠にありがとうございました。
長い間温めてきた構想だけで、それを言葉にする苦しみがあった
分、出来上がったとなると、やはり喜びは大きい。
後は本番を待つだけとなりました。
国際手話でプレゼンするので、それも確認しなければならないが、
まずはひと段落。

タイトルは開かれたろう教育観を目指して、こう決めました。
「グローバリズム時代におけるろう教育」
"Globalization on Deaf Education"


自分を振り返ってみると、1994年「バイリンガルろう教育」の言葉
を知り、ろう教育に関わろうと思ったのもその時だった。
NPOバイリンガルろう教育センター龍の子学園で、教育実践を
得て、現在石川県聴覚障害者センターでろう児支援を中心に、
広範囲にわたる業務に携わっている傍ら、教育団体「しゅわえもん
で活動をしている。
そういう過程があったからこそ、一度原点に立ち返って考えられた。
たどり着いた答えと、教育の目的、社会構想、経済価値論を私は
述べることを決意した。

何度も言うようだけど、改めて皆さんに感謝したい。
本当にありがとう。その言葉だけでは足りないくらい。
今までの過程を抜きにしては「Karry」はいなかった。
皆さんが「Karry」を育ててくれたとも過言ではない。
まさに「人が人を作る」その通りですね。

さて、話は変わって、
私は明日より2日間支援体制の下、奥能登に向かう。
今日も能登では震度5の余震があり、今後もまた続くのではないか
と緊迫した状況はぬぐえない。
奥能登は過疎地なので、高齢ろう者、難聴者の生活保障が必須
となる。まして余震が続いているので、心のケアとして傾聴も必要
になる。奥能登のろう者・難聴者たちを孤立させないように、復旧
やケアを組織につなげてできることをまず考えていく。
明日は奥能登を目の当たりにするので、どういうことを感じるのか
皆目つかないが、全力を尽くしていきたい。
今のところ、能登有料道路は羽咋市より先が道路陥没で通行止
となっているため、七尾回りの一般道路にて向かう予定。
気をつけて行ってまいります。
(朝早いので起きれるかなあ~、それだけが心配です・・・)

石川県聴覚障害者センター(能登半島震災聴覚障害者対策本部)

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能登半島地震

皆さんもご存知のとおり、昨日午前9時40分過ぎ、能登沖を
震源地とする地震が起きた。
マグニチュート6.9の強度で、奥能登地域(輪島・穴水・七尾)
では、震度6強、その他石川県全域震度4~5に襲われ、
その震動は他県までに及んだ。
金沢で勤めているので、地震の速報が流れるや否や皆さん
からの即座に安否や激励メールやmixiのメッセを沢山頂いた。
この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
Karryは全然元気ですので、ご安心ください。

実を言うと、昨日は石川県を離れていたので、地震の怖さを
味わっていない。
無事に金沢に戻れるかな?と心配していたが、交通網には
支障がなく、無事に金沢に戻った。
金沢は震度4で、被害は少ないが、奥能登地域は大変な
被害を被っている。
私の職場の県センターは、緊急で「能登半島聴覚障害者災害
対策本部(仮称)」を設置し、その対応に全力で取り組んでいる。
昔に比べると情報獲得しやすくなったが、災害となるとこれは
また別の話になる。
地震に見舞われた方々の心中は気の休まることはない。
奥能登という地に住んでいるろう者、難聴者全員が生活の
面で、より迅速に情報獲得でき、生活の支援ができるように
センターは行政と共に色々と思索を練っているところだ。
センターとしての動きが分かると思うので、ブログをどうぞ
見に来てください。
石川県聴覚障害者センター
http://ishikawa-deaf.cocolog-nifty.com/blog/

最後に奥能登のみなさんの心に一刻も早く安らぎが来ること
を祈ると共に、私も尽力を注いでいきます。

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18ヶ月

こんにちは。
今日の金沢は小春日和で暖かかったのが一転し、雪で荒れ模様。
一夜にして一面雪景色に変じた金沢、季節通りの景色にほっと
させられる。

さて、私の職場(石川県聴覚障害者センター)のブログが出来た
ので、その情報をお知らせしよう。
http://ishikawa-deaf.cocolog-nifty.com/blog/
手話動画ありなので、どうぞご覧くださいませ。

石川県に勤めて、早一年半がたった。
「石川」という地域性から教わることも多くあった。
そして何よりも収穫が多いのは北野雅子施設長のもとでともに
働け、人間性はもとより、施設長としての経営手腕、経営哲学
に大いに学ばされる。

この一年半を振り返ると、今までの固定観念や価値観を覆る
出来事とも出会い、葛藤したときもあった。
しかし、価値観を覆すことは従来の自分の殻を破る大チャンス
である。
長年疑問に思い続けたことを求めて、私は石川へ行ったのだ
から全てを吸収するつもりで考え抜いた。
すぐに答えが出ることばかりではない。
当然ながら、葛藤や苛立ちを感じることもしばしばあった。
そこで私が常に中心に据えていたのが、「苛立ちから怒りへと
転回しないこと」。
ろう者をはじめ、聞こえない人たちは抑圧を受けることに慣ら
されている。そのたびに、怒りへと転回、あるいは無関心へと
歩むかどちらかになる傾向があるように思う。
怒りの感情だけで立ち上がろうとすることがあるが、人間共和
の視点から考えてみると少し違うかなと思う。
怒れば怒るほど、共生どころか分断の層が厚くなるのだろう。
これはろう者のみではなく、マイノリティでしかわからない共通
経験が連鎖を生む見えない文化的背景と私は捉えている。
無知だからこそ人間は学び続ける。
当然ながら私もまだまだ学びゆかねばならない。
「人間」という視点を養うために、様々な人がいて、考えがあって
社会が成り立っている。
出会った人と語りつつ、あわせて「学」を追い求め、生涯学び
続けていきたい。

ここ石川では、今年4月から、スキルアップコース(手話通訳者
養成)と手話奉仕員養成(入門)のろう者講師養成講座の2つ
のモデル事業がスタートする。
石川県ろう協会と協会を支える人たちが長年抱いていた構想が、
一つの形となり、実現されようとしている。

石川県の手話通訳者のスキルを高めるためには、学習・実践の
場を提供することはもちろんのこと、何よりも忘れてはならない
のは、成人ろう者自身の成長である。
それだけは絶対に忘れてはならないことである。
将来社会的価値観が進むことにつれ、研鑽を訛ると、一番苦し
むのは誰か?
成人ろう者自身である。


未来を切り開くためには、幾多の壁にぶつかり、忍耐が必要と
なる。
「○○だから仕方がない」という否定的分析よりも、より建設的
に分析し、かつ地域性(あるいは県民性)を考慮し、その体質
にあった手段を選んでいく。
それがすべてプラス的価値を創造していく。
それが本当の教育の本質ではなかろうか。
本当の主役はリーダー的な人たちではない。
地域に生きる一人一人が本当の主役なのだ。

4月からの事業に向けて、目下準備中であるが、石川の人たち
に恩返しが出来る自分に成長したく思ったこの頃である。
「Karryが探している答えは地方にあるんだよ!」とアドバイスを
くれた石川の友人に感謝してやまない。
ありがとう。

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静枝の優しい眼差し

もう3月になりました。
「金沢は寒いでしょうね?」とよく聞かれるが、暖冬だから、
金沢滞在2年目の冬は雪も数回程度で終わってしまった。
要するに、冬が魅力の金沢を味わえなかったのだ。
金沢人も異口同音に「こんなことは初めてだ」と。
地球温暖化が目に見える形で徐々に現れている昨今、生物
生態の変化や、水不足などこれから先の生活を懸念する。

1月24日昼休みに、私の携帯に1通のメールが届いた。
宝友の野崎誠と佐沢静枝から「元気な男の子が生まれた」と
の朗報だった。
そして、彼らが尊敬している先生に「剛-つよし-」と命名して
もらった。生命の金剛である、「剛」の計り知れない可能性に
今後がとても楽しみだ。

Tsuyoshi1 愛らしい剛の写真がメールで送られてくる
たびに、心穏やかな優しい気持ちにさせら
れる。
おやまあ、目は誠に似ていて、鼻から下の
ほうは静枝にそっくりだ。
今回はその写真を見て感じた思いを書こう。


Shizue_and_tsuyoshi 多数ある写真の中で一番好きな写真である。
(本人の許可をもらってあります)

この写真は母となり、わが子・剛を抱く静枝で
ある。
わが子をいとおしく見つめる、まさに母の優しい
眼差し。母の腕で安らぐ赤ちゃん。
ありきたりの風景だろうが、生命の育みの原点の一コマが
私を感動の彼方へと導いてくれている。

1998年私がアジア大陸を3ヶ月間旅し、帰国した直後に、
私と静枝は出会った。
彼女の健気でまっすぐで無垢な目が印象的だった。
誠とは、2002年静枝を誘った三国志展で初対面を果たした。
名前負けしない誠実な姿が印象的だった。
彼らが夫婦となり、そして今度は、まだ幼さが残る静枝が一つの
尊厳なる生命をこの世に生み出すという偉業を成し遂げた。
母親という偉大な人物は、一家庭を明るく照らしゆく太陽その
ものである。本当に尊敬に値する。
彼ら夫婦にとって、わが子を産み、育て、関わることで、様々な
ことを感じ取っていくことだろう。
そしてものの見方も多角的になっていくのだろう。
誠、静枝、剛から教わることもこの先、多くなるだろうと思うと、
自分の大切な大切な財産が増えた喜びでいっぱいである。

これは誠と静枝ばかりではない。
一個の社会形成の一つである家族を持っている人たちにも
同様に言える。
結婚もしていない私がこんな偉そうなことは言えないが、家族の
愛情は、常に人を大切にする気持ちと報恩感謝の気持ちを
抱き続けることを教え、自分をたゆみなく成長させてくれるの
だろう。
その心が人をそして生命を育てていく基本なるものと私は思う。

最後に、尊い生命を育む1児のパパ、ママとなった誠と静枝より
メッセージが届いた。
「剛は私たちの子どもでもあるが、カリーの子どもでもある。
剛をどうかよろしくお願いします。」


彼らの純粋な気持ちがとても嬉しかった。
彼らなくして今の自分はいなかった。
お互いを大切に思う気持ちがまた「私」を奮い立たせてくれる。
今日もまた頑張ろう。

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大阪国際女子マラソン

大阪城をかける「大阪国際女子マラソン」が来る28日に号砲。
高校時代は陸上に没頭していたから、陸上と聞くと、ワクワク
する。
大阪国際女子マラソンは、世界選手権出場のシート争いでもあり、熱い戦いが繰り広げられる。女子マラソンの選手層が厚くなっている昨今、熾烈を争い、誰が代表権を勝ち取るのか、今から楽しみである。

実は大阪国際マラソンには私にとってもう一つ楽しみがある。
それは、わたしの友人の嶋田裕子さん(旧姓・泉)が出場することだ。彼女は今まで11回出場しており、今年もまた自分との戦いに挑戦する。
現在2時間53分56秒の世界ろう者最高記録保持者でもある彼女は、2006年メルボルンデフリピック(注1)銀メダリストでもある。
彼女の勇姿をずっと見ていたので、今回はその話を書こう。

Yuko 高校卒業したての私と彼女が出会ったのは全国ろう者スポーツ大会。専門種目は違ったが、それ以来友好を温めてきた。マラソンも始めた彼女が、大阪国際女子マラソの出場権を初めて勝ち取ったのが1993年。
それ以来、何度か挑戦を重ねて、記録更新を塗り替えていった彼女。
しかし、忘れもしない1999年の9月-。彼女は最愛の弟・泉宜秀くんを交通事故で失った。翌年の2000年の大会は、亡き弟との誓いを胸に、悲しみを乗り越え強靭な精神で挑んでいった。
その姿を応援するため、私は陸上の仲間たちと大阪へ向かった。スタート地点から10km関門、25km関門、ゴールの四箇所を地下鉄で移動しながら、路辺より声援を送った。
「頑張れ!裕子」「頑張れ!裕子」と。

余談だが、そこで初めて生の有森裕子選手の快走する姿を見た。さすが、2時間30分台の記録をもつ選手。一瞬で私の前を駆け抜いていった。ブラウン管でしか見ていないから、速さが伝わらなかったけど、生だとリアルに肌で感じられた。

ゴールを待つ私たちの前で見事、彼女はゴールした。
タイムは3時間5分31秒。
ランナーの夢であるサブスリー(2時間台)には一歩手に届かなかったもの、当時の日本ろう者の最高記録であった。
「弟が背中を押してくれた。
     弟がそばで見ているような感じがした。」と。
戦いきった姿が何よりも神々しく、印象的だった。
その後、2003年に待望のサブスリーを記録し、更に世界の舞台で銀メダリストとなり、世界走者となった。

その勝利の裏に、様々な困難を乗り越え、どれだけの努力を積み重ねてきたのか。そのにじみない努力が「勝利」を生んだのだ。
彼女の強靭な精神から「不撓不屈」の精神を教えられた。
彼女の飽くなき挑戦を心からずっと応援していきたい。

彼女ばかりではない、一人一人の選手がここまでたどり着くのは並大抵ではない。「天性だ」と片付くことが選手たちを傷つけることもある。
素質を開花させるために過酷な過程と努力と忍耐、自己管理が必須であることを私は知っている。
スポーツ界で頑張る選手たち全てにエールを送りたい。

注1デフリピック・・・世界のろう者のオリンピックの名称

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望郷のクラスメート

Class_2 年末年始は実家のある北海道へ帰り、愛す
るわが家族と新しい年を迎え、そして高校の
クラスメートや恩師、小樽聾学校の後輩たち
と懐かしい顔ぶれと会ってきた。
お袋の味も北海道の味も充分堪能し、なまら美味しかった。
今までとは一味ちがった休暇だったので、心も体も満たされて
いる。しかしながら、心を北海道に置き忘れてしまい、半ば抜
け殻状態・・・(爆)

今年は公私とも色々ありそうな気がして、とても楽しみだ。
特に30代に入ってから、思慮深くなっていき、世の中の法則と
真理を見出せてきたのか、「人」と「時」をより大切にしていこうと
思っている。

「年末に帰省する」と高校時代のクラスメートに連絡したら、あれよ
あれよとプチクラス会と化してしまった。恩師も来てくれて高校時
代の一瞬一瞬が甦ってきたのだ。
当時のクラスメートは10人、その日はなんと6人も集まってくれて
みんな本質は全然変わってなくて、ホッとしたと共に嬉しかった。
その空間だけ時が戻り、言うならば韓流ドラマのワンシーンのよう
な感じだった。みんな、子を持つ親となり、育児や教育、そして各
自の報告に話は尽きず、楽しいひと時だった。
生意気だった私はクラスメートたちと一緒に恩師を沢山困らせた
こともあった。その恩師が私たちと対等に語り合い、真剣に考え
あったりすることはとても不思議なことを感じる。
恩師いわく、あの頃は教師赴任で初めての担任で何もかも試行
錯誤だったと。困らせてばっかりで悩みの種を増やす大変なクラ
スで閉口したそう。
でも、今はみんな成長してきたから、あのときのことも笑い話とな
り、許せるでしょう?ねえ、恩師?

クラスメートだからこそ、本音でスバスバ言い合ったり、過去を暴
かれたり・・・。過去あってこその自分だからね。
それぞ、望郷の友人の特権だ!
「Karryはクラスメートの誇りなんよ」
「Karryは北海道の誇りなんよ」と
いわれると、やはり嬉しくなるし、励みにもなる。
高校卒業と同時に北海道を後にし、大いに吸収してきた私だが、
クラスメートたちに言わせてみれば「随分成長したけど、本質は
変わっていない!」らしい。
今度はプチじゃなくて、クラスメート全員揃ったクラス会がやりた
いね。

みなさん、Karryは健在です!
今年もまた、Karryはやりますよ。

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2007年の幕開け!

あけましておめでとうございます!!

ありがたいことに出会った人たち全てが私の財産である。
しかしながら、いじめや自殺、論争、対立などがある今日、
一人ひとりが出来ることは何だろうか?
世界平和を願う一人ひとりの心とマンパワーの連帯こそが
必要でなかろうか?
平和は決して遠いところにあるのではない。
答えはあなた自身が見つけなければならない。
そして一期一会・・・
私は、「人権尊重」の精神のもと、ソフトパワーで考え抜き、
行動していきたい。

昨年は色々とお世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

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懐かしい海の香り

昼休みは、北野ママお手製のお弁当をほおばりながら、
NHK連続ドラマを見たり、同僚と雑談したり、新聞を読んだ
りと、過ごしている。

今日は、今年の4月より奥能登常時駐在勤務となった浜野
秀子さんが月1回行われる職員会議のために、県センター
事務所に来た。
地域格差が広がりつつあるこの日本だが、石川県ろう協会は
この問題解決策として、奥能登広域手話通訳・派遣事業を
浜野秀子職員に託し、輪島市、珠洲市、能登町、穴水町へと
配置した。
地域行政の意識を変えていき、地域の牽引役として事業展開
している彼女の苦労は絶えない。
しかし、それが全て自分の財産にかえってくるのだ。

奥能登で生まれ育った彼女が海苔と母お手製のイカの塩辛を
手土産にと持ってきた。
その海苔を一口、口に運んだ途端、輪島を囲んでいる日本海
の波が一瞬目に浮かんだ。波の高波とともに海の香りが口中
に広がってきた。
海苔そのものが存分に感じられる!
海の絶景!磯の香り!海苔の触感!海の三重奏を味わう
ようだった。
あー懐かしいー。海の香りに、ホッと心が温まってくる。

海苔は今まで食べたことがない分厚い海苔だった。
よく見てみると、岩のりが何層も重なって出来ている。
イカの塩辛もゆず、唐辛子、麹等が入っていて、暖かいお袋の
味がする。
私の母もイカの塩辛を作っており、久しぶりに母の手料理、
佃煮が恋しくなった。

今回は、浜野さんのおかげで、海の香りを味わえ、颯爽とした
気持ちのいい昼休みを過ごせた。
彼女は今日よりまた奥能登へ戻られる。
日々、健闘やまない彼女にもエールを送り続けたい。

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一人こそ原動力

随分と更新をさぼってしまいました。汗・・・

あっという間に師走です。秋は様々なことが目白押しで、けっこう
価値のある日々だったと自負しています。
日記も整理し、AP青年キャンプとあわせて徐々にアップしていき
ます。

さて、今回は石川県聴覚障害者協会の機関紙「ろうあ石川」の
宣伝(!?)です。
「ろうあ石川」は当協会の動きや、聴覚障害者センターの業務
報告を始め、各団体の動き、情報提供を主にしています。
聴覚障害者センターだよりの欄では、職員達が交代でコラムを
担当しています。今月は私が担当で、APろう青年キャンプで
感じたことを「一人こそ原動力」と題して書きました。
転載許可をもらいましたので、ここにてアップします。

月1回発行で、購読料は2000円。
郵便振替口座 00790-3-7439 
          社会福祉法人 石川県聴覚障害者協会
興味を持たれた方は早速郵便局へLet's go!!

            「一人こそ原動力」
 第3回アジア太平洋ろう青年キャンプで、14ヶ国41人のろう青年
たちがここ日本・宮崎県に集った。その中には、カンボジアより4名
参加があり、彼らのアドバイザーでイギリスのろう青年、ジャスティ
ン・スミス氏も同伴された。カンボジアはポルポト大虐殺の影響で
教育も生活水準も低く、ろう者はなお更であった。
情報は入らない、聞こえない子どもを家族は隠す、聾学校はな
い、ろう協会も結成されていない。随分昔の日本が今のカンボ
ジアの情勢である。そのカンボジアの復興にフィンランドNGOが
援助をなし、ろう者の教育支援担当を同行していたスミス氏が
担っていた。
キャンプ期間中、右往左往しているカンボジアのメンバーに通訳
や様々なアプローチをして、彼らを最大限にバックアップしていた。
何より、あの若さで思慮深く、常に相手に敬意を示しつつタイミン
グを見計る絶妙な姿勢に、非常に感銘を覚えた。
 彼は現在28歳。フィリピンに3年、その後、カンボジアに渡り、
3年が過ぎる頃だという。彼は遠い眼差しで「母国で培った知識が、
当初はその国に通用しないもどかしさや苛立ちを感じたこともあっ
た。彼らを人間的に成長させていくためには、知識を知恵に転換
しゆく自分の思考力と洞察力こそが必須となる。それを彼らが教
えてくれた。」と語ってくれた。深い共感を得た彼に私は最敬礼を
送った。
 最初はなかなか馴染めずにいたカンボジアの青年たちが、最後
は堂々とみんなの輪に入り、溶け込んでいた。一人の青年が異国
の青年の胸を熱くさせた。10年後、50年後のカンボジアは必ず変
わる。一人一人の援助の積み重ねが思慮、行動、人権運動啓発
への発展につながっていけるのだ。
 わが国も先人ろう者たちの運動のおかげで社会参加の市民権
を得ている。しかし、こういった貴重な歴史がある中、情勢は時代
とともに変遷しつつある。どのようにモチベーションを保てばいい
のか。それは人と人との関わり、内面的なものではないであろうか。
現実の壁にぶち当たる厳しさはあるが、目先にとらわれず、30年
先を見据えたビジョンを立てておきたいと思ったときに、最終的に
人材育成に行き届く。それは将来を担う私たち青年に課せられた
課題であろう。
ろうあ運動も然り、ろう教育も、手話通訳者育成も、次を担う人材
にかかっているのだと思う。

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100歳になった我が母校

幼少の頃、母親の手に引かれて、入船の坂を登ったところに
木造校舎が建っていたのを鮮明に覚えている。
それが私の母校である小樽聾学校であった。
1歳の教育相談から中学3年生まで私はそこに通い続けた。

小樽聾学校創立100周年の式典がこのたび開かれた。
あいにく、私は出席できなかったが、後輩達から興奮やまない
メールが沢山届き、心は小樽聾学校にあった。

聾学校は「耳の聞こえない子どもが通う学校」である。
当時、聞こえない子どもを取り巻く環境は今ほど多様化された
ものではなく、選択肢がなかった。
私は、聴覚口話法で育てられた自分の環境に反発し、「ろう児
には手話と書記日本語教育を!」とバイリンカルろう教育の
活動に没頭した。
しかしながら、何か引っかかるものが少なからずあった。
「自分が育った環境を今のろう児には味わってもらいたくない」
と思うことで、自分を否定しているように感じるときもあった。
様々な葛藤に悩んだ。

手話の環境が少しでもあれば、「運が良かった」のか。
インテグレーションした彼らは「運が悪かった」のか。
成長した今ある姿は運の有無で決まるものだろうか?
それは否である。

今、私は思う。
「今の自分がとてつもなく、大好きだよ」
「KarryがKarryで良かった」
そして、
「あなたがあなたでいて良かった」ということが一番大切
なのだ。

今願っていることは、
聞こえない子ども達が「自分が自分でいて良かった!」と
いうことと、「あなたがあなたでいて良かったね」という当たり
前の優しさを持つことと恩を忘れないこと。
これこそが最も必要なのではないだろうか。

この原点に気づかされたのが、まさに、我が母校・小樽聾
学校である。
私たちは、ここで、他者との関わり方、遊びから学習への
意欲、物事への好奇心、様々なことを学んだ。
もし、小樽聾学校がなかったら・・・?

数々の先輩たち、後輩たちとも出会えることもなかった。
先生たち、寮母先生たちとも出会えることもなかった。
幼馴染たちと沢山冒険やいたずらすることもなかった。
全国各地にいるろう者の友人たちと文通することもなかった
だろう。

周りにいる聴者(聞こえる人)に自分の母校に思いを馳せる
のかと聞くと、そうでもないらしい。
培った青春時代を懐かしく思えても、母校にまで強い思いを
馳せることはないのだという。
私たちろう者は固有名詞「聾学校」に強い思いを馳せる。
心の故郷でもあり、家族でもある「聾学校」。
それはろう者たちの特権かもしれない。

ひょんなことで、mixiで先輩や後輩たちと再会を果たした。
今、はっきり言える。
小樽聾学校で育んだ絆は永遠に続くものだ、と。
我が母校・小樽聾学校よ、万歳!!!

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聞こえない人たちの差異

気がついたら石川県で働き、もう1年たった。
現在、私は聞こえない人たちに関わる生活支援全般を受け
持っている。乳児から老人。ろう児をもつ親、難聴者、中途
失聴者、また聴者とも関わらせて頂いている。

今回は私の業務の一部である「中途失聴者・難聴者の生活
教室」について書こうと思う。
石川県は10の市があり、その中で、中途失聴者・難聴者の
生活教室の事業を行っているのは6市である。それを私の
職場の県センターが委託事業として行っている。
すでに、金沢市、白山市、小松市、加賀市、輪島市はこの
事業を終了し、あとは能美市を残すだけになった。

各市の事業の予算によって回数も違ってくるが、大抵は5回
程度である。
難聴者・中途失聴者の社会参加の促進、相談を目的として
いるので、色々なことを取り入れている。
9時から3時までの間に、手話講座、健康教室(太極拳・料理)
パソコン体験、施設見学、福祉制度の講義、聞こえの個別相
談、社会教養講座、座談会等々のカリキュラムで行っている。
(情報保障として、ループ、要約筆記(OHP)、手話通訳がつく)

参加者は本当に多様多種である。
名目は「中途失聴者・難聴者」となっているが、ろう協会に
属しているろう者もいれば、音を必須として生きる難聴者も
いるし、手話で生きる難聴者もいる。音のある世界から何ら
かの理由で、突如音のない世界となった中途失聴者もいるし、
人口内耳装着者もいる。
加齢によって耳が聞こえなくなった高齢者もいる。
一貫して彼らを「聞こえない人」と指すのだが、生活は音の
聞こえる、聞こえない、また置かれている環境によって大幅に
違っている。
だからこそ、お互いに違いを理解しあわない限り、お互いを
尊重することは難しい。
「難聴者も中途失聴者もろう者もみんな、人間である。」
人間はそれぞれ違っていて当たり前。
それを「差異」という。
「差異」をどのようにみていくかが、私たち人間の行動にかかる。
「差異」が「差別」につながるか、「共存」につながるか。
それは、「人」が好きでない限り、お互いをマイナス評価、
あるいは何かの名称につけて壁を作ってしまう。
どう、最終的にたどり着くのはそれぞれの人間性。
人間性を作るのも、教育である。

生活教室が終盤に差し掛かった頃に、座談会をいつも開いて
いるのだが、「わたしにゃ、手話は難しいと思ってやらなかった
けど、竹内さんと手話を勉強してみてこれは楽しいなあ、手話は
いいなあ。わたしも覚えることにしたよ。」
そういう言葉を聞くと嬉しくなってしまう。

私が常に留意しているのは、ただ任務をやるだけではなく、
どこも同じだが、参加された方が心ゆくまで満足できたかどうか
を考えることと、今ある人材をどのように育成していくべきかを
いつも念頭に置いている。
簡単なようで、難しい。しかし、それが一番大切なのだと思う。

人は言う。
「バイリンガル路線で走ったKarryがどういう根拠で難聴を?」
私は答える。
「バイリンガル路線で走ったからこそ、たどり着く答えもある。
そういう過程があったからこそ、今の自分がいる。
否定なんてとんでもないことだ。」

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おぉこの感覚は!!

石川には「ろうあ釣りクラブ」がある。
高校を卒業するまでは、父と一緒に沖合いで魚釣りをして
きた私。カレイ、あぶらこ、カジカなど・・・
しかし、上京し、仕事はもちろんのこと、休日の環境も変わり、
いつしか趣味も変わり、サーフィン、スノボ、陸上、バスケ、
自転車などに没頭した。

今住んでいる石川県の海は、わが故郷を馳せる日本海で、しかも
魚釣りのクラブがあるときた!すぐ入会!
しかし、入会したものの、なかなか日程があわず、7月、ようやく
イカ釣りに参加させてもらった。
といっても、イカ釣りはまったく初めて。石川では7、8月がベスト
シーズンで、夕方から夜にかけてが絶好の時間帯だそうだ。

日程調整しながら、赤イカ釣りには2回参加してきた。
夕方6時に港を出て(加賀の橋立港、金沢の大野港)、仕立船
を30分ばかり走らせる。そこで、船頭さんより指示が出たら、
釣りが開始される。

船についてあった集魚灯をオンにすると、明かりを求めていた
赤イカが集まってくるそうだ。10数年ぶりの魚釣り、ましてや
初めてのイカ釣り。
私は久しぶりの感覚に興奮してしまい、最初はドタバタ劇だった
が、クラブのメンバーたちがやさしく教えてくれて、鈍っていた
感覚は徐々にとり戻りつつ・・・

赤イカ釣りは魚釣りのように、竿をきびきび動かすとノリは悪い
と教えられたので、私はぐーっとこらえて、握り、竿にずっと注目
していた。
ググッとかすかに動いた!竿を動かしたら、重みがある!
しかし、魚のように引っ張られる反動がない。
戸惑っていた私に、「かかっているから巻け!」と。
言われるがまま、リールを巻いたら、ホントにかかっていたのだ!
何がなんだかわからず釣ってしまったので、そのコツを習得
したく、私は躍起になってまた竿を投げた。

Ika_1だんだんやるにつれて、手際もスムーズに
なってきた。
反動が出たと思ったら、すぐさま竿を動かす。
グーッと重みが乗ってくる。そのままリールを
巻いて浮かせる。
赤イカは海面からあがった途端、墨を吐くので、
吐かせてからスッと引き抜く。
おー、これは楽しいぞ!
ふつふつと今まで眠っていた血が騒いできた。

集魚灯がついているので、色々な魚が浅いところまで浮いて
泳いでくる。
コゾクラ、ヤヨリ、トビウオ等等。
それを眺めるのも一層面白さを増す。
そのとき、遠くに得体の知れないものがどんどん近づいてきて
いる・・・
なんだろう???と注意深く見たら、なんと渡り蟹!!
カニって、泳げたの?
ビックリ!!(みなさん、知ってました?)
カニは横歩きのイメージしかなかったので、一番下について
いる足だけを懸命にこいでいるカニがかわいらしく思えた。

でも・・・・
Kani_1船体に近づいてきたので、「ごめんよ・・・」と
思いつつ、網で取りました。


カニも明かりを求めて、あがってくることを知らなかったので、
夜釣りは色々発見ができて、冒険心をもそそられた。

11時半に船頭さんより、「時間だから、竿を引け」という声で
納竿。
その結果、赤イカ25ハイ、スルメイカ5ハイ、おまけにアジも
3匹釣れた。
こういう日は釣り日和だという。

やっぱり釣れたての赤イカはやわらかく、新鮮で頬が落ちる
ほど、美味しかった。
今度は10月、兵庫にて真鯛に挑戦する。
これも初めてなので、どのような展開があるのか今からワクワク
している。

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一個の生命から想う

石川県ろう協会老人部の方がまた一人亡くなられた。
長い間の闘病生活後、自宅に戻られたその日に、帰らぬ人と
なった。落ち着く我が家で、Tさんを何を見て、何を思い、この
世に別れを告げたのだろうか。

明朗でさっぱりしていたTさんは、出会うたびに私たちに元気を
くれた。
Tさんは若さが大好きで、活動的な人でもあった。
携帯にプチ虫眼鏡を当てながら、メールを読み、一生懸命
返信しながら、「孫に送っているのだ」と豪快に笑っている姿が
忘れられない。

今思い起こすと、Tさんからも色々なことを教えられた。
そのTさんが今は亡き人となった。
そしていつしか回りの人もなくなっていき、わたしもいなくなる。
宇宙の法則には逆らえないものである。
しかし、わたしは不思議なことを感じる。
Tさんから教わったことを、今度は私が誰かと出会い、その
ことを広め、私と出会った人はそれをまた違う人に広めていく。
こうして思想と魂が伝承していく。四次元のようなものである。

先日TVを見ていたとき、東京大空襲で家族全員を失い、学童
疎開で東京を離れた自分だけが生き残ったという女の子がいた。
あっという間のことだったので、遺骨も遺物も見つからなかった。
家族の中には3歳の弟がいた。
その弟が学童疎開で離れているお姉ちゃんへと送ったメンコ
一枚だけが弟の形見として残っていた。
それ以外弟が生きた証がないから、生涯大切にしているという
話だった。

死んでしまえども、生きてきたことは事実。
事の重みが違うかもしれないけど、生命には優劣とか上下とか
は絶対にない。
いなくなることは寂しいものだが、この世界で生きてきたことは
確かだし、Tさんと共に送った時の証は今もなお私の心の中に
映っている。

生命を育む-。

その言葉はとてつもなく重いものだと改めて気づく。
また回りの人たちが去るときがあるだろうが、ゆりかごから墓場
までである以上、生命を育む偉大さをかみ締めていきたい。

過疎化が進んでいる石川。
そして戦争にゆかりの深い8月。
原爆、終戦を思うと生命について考えさせられ、重いテーマ
となってしまったが、人間として避けられぬ課題であろう。

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優しいことは強いこと

私が座右の銘にしている言葉の中に、
「Be strong!」(強くあれ!) という言葉がある。
これは、海外の親友からもらった言葉である。

人間は人との出会いや色々な出来事によって、
「自分」というものを形成していく。
その中でも、困難な出来事には、分かれ道が現れる。
傷つきながらも前進するか、あるいはあきらめて後退するか。
プラス思考にとらえるか、マイナス思考で反撃するか。
その人の性格というより、生命の根底に利己主義か、
人間主義かのどちらかによって行動が出るのだと思う。

一般的に強いということは、「力のあるもの」を指すのだが、
私は内面的なものを考えている。
強くなることは確固たる信念がいるのだと思う。
確固たる信念をもつためには、築き上げられた思想が必要で
ある。
強さとは、柔軟に満ちた思いやりと怒りに満ちた力であると
考える。だからこそ、そこには築き上げた思想が、確固たる
信念が必要だと思うのだ。

崇高な目的を果たすには、崇高な考え方や方法があるはず。
大勢の人たちと出会い、対話し、私はその人たちから多くの
ことを教えられ、学ばされた。
そして、私は確信をつかんだ。
本当の優しさが何かがわかった。
「優しいことは強いこと」
様々な生き方があって、どの生き方も否定はしないが、
これだけははっきり言える。

「Be storng!」
この言葉を送ってくれた親友に感謝したい。
常に報恩の心で接していき、本当の優しさをもち、強い自分で
ありたいと思う。

「Be storng!」
再びこの言葉を叫び、ブログを読んでいる皆さんに送りたい。

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洪水警報

三連休は金沢を離れていたが、友人たちより沢山メールを頂いた。
「石川が洪水に見舞われているそうだけど、大丈夫?」
「心配しているから一報を!」
ご心配いただき、ありがとうございます。

加賀地域方面が洪水に見舞われ、金沢市内は大丈夫だった。
加賀地域に住んでいる友人に、メールで聞いてみたら片山津周辺が
すごかったらしく、友人は無事だった。
一安心したが、自然の力を侮るなかれ。

昨日も一日中雨が降っていた。
昨夜は、大学で講義があったので車で向かったが、ワイパーも
超高速でしか対応できず、自然の猛威を感じた。
講義が終わろうとした頃、洪水警報が遠くに鳴っていると同伴した
通訳者が教えてくれた。
家に帰ると、市役所から災害情報緊急連絡「洪水警報」のFAXが
届いていた。

「犀川の水位が警戒水位を超えました。浸水害、土砂災害に警戒
してください。テレビをよく確認して、今後の気象情報に充分気を
つけてください。特に示野橋より下流の地域は気をつけてください。」


その情報あるなしで、わたしたち耳の聞こえないろう者たちの安全が
大きく左右される。ありがたい情報だと思うとともに、このネットワーク
の体制の良さに非常に驚いた。
この体制も石川県聴覚障害者協会と金沢市聴力障害者福祉協会が
しっかりと基盤を築いてきたからだ。県ろう協会をはじめ、傘下組織、
地域社会の連携の下積みを再認識できた日ともなった。

日本は世界でも有数な自然災害国である。
阪神大震災で多くの教訓を得た今、私たち一人一人が地域に連携
し、緊急ネットワーク体制を作ることが重要となる。
そのためには、県、市ろう協会の力も不可欠だ。
同じ町内で火事が出たとき、情報が入らず、家でのうのうとしていた
ろう者夫婦がいたことも笑える話ではない。
インターネット媒体を使って、ipodやテレビ電話など情報の獲得も
広がっている。しかし、IT社会により、格差社会を生むことを懸念
している。だれもが情報を得られるようなネットワーク体制も組まな
ければならない。
特に高齢者はインターネットといってもおぼつかない。
誰もが対応できるものを考えることが大切である。
それは教育思想にも相通ずる。

「社会先般を見据えて専門性を磨いていこう。
無駄なことに見えても実は重要なことで他にも通用できる。
それが社会で生きる術である」
と。

私が石川へ行こうと考えていたときに、ある方からアドバイスを
いただいた。
地域社会で生きるー。

これを機に、みなさんの地域は、どのようになっているか一度
確認してみるといいかもしれないね。

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辛くてあつ~い福岡

先日、アジア太平洋ろう青年キャンプ(略称・APろう青年キャンプ)に
ついてふれたが、そのAPキャンプ実行委員の一員になった。
先週末にAP実行委員として、ヤングデフフォーラムに招かれ、
福岡へ行ってきたので今回はそのことを話そう。

空港に着いたとたん、福岡の蒸し暑さが襲ってきた。あつ~い・・・
でも、福岡にはおいしいものが多く、福岡県青年部の人たちに
案内してもらいながら、グルメ歩きに色んなものを食べてきた。
一蘭ラーメン、梅が枝もち、八女茶、明太子・・・。

その日の夜は15年来の友人、ヨッシーの家へ泊まらせて頂いた。
わたしとヨッシーとの出会いは今から15年前、北海道でのスキー
旅行だった。そのときはお互いに10代(若かったのね・・・笑)で、
「今」というときを楽しんでいた。
年月を重ねた今、お互いの歩んでいる道が明確になっていた。
彼女は今や、全日本ろうあ連盟の議長になった。
6月に行われた静岡大会で3000人もの人前で堂々と挨拶をした
彼女の姿はとても凛々しかった。
そして、今回、彼女はAPキャンプ事務局長となり、出会いから
15年後に一緒に活動ができる喜びを感じるとともに、彼女から
沢山のことを学びたく思った。

話がそれてしまったが、フォーラム当日は講師として、
「なぜAPキャンプを開くのか」をテーマに、
実際自分の目で見てきたアジアの事情を中心にAPキャンプ開催
の意義を話した。
教育に携わっていることから、教育の必要性は深く感じており、
それをふまえて私の考える基本的人権を述べた。
「教育と福祉の二本があってこそ、人間としての生活の営みが
できるのだと考えている。片方が抜けていてはアンバランスで
あり、常に教育・福祉を念頭に入れながら展開していくことが
大事ではなかろうか」と。

午後は国際手話ワークショップをおこなった。
私は国際手話を勉強して覚えたわけではない。海外を旅し、海外
のろう者と出会い、そこから国際手話を習得した。
詳細は後日に述べるとして、初級をヨッシーが、中級を私が担った。
こうしてフォーラムは、あっという間で終了し、価値のある2日間を
終えた。

講演終了後には、福岡タワーを散策した。
福岡ドームのたたずまいはまるでアメリカを彷彿させた。
おまけに海の香りもしていて、南国のレジャー施設に新鮮な思いを
抱いた。
福岡空港まで見送ってくれたヨッシー、ピヨ、ゆりよしをハグハグし、
石川へ戻った。

福岡はめちゃ、暑い!!
明太子はめちゃ、まいう~!!
あー、しかし・・・・味噌を買い忘れた・・・トホホ
福岡県青年部は個性あふれた人たちで、とても楽しいひと時だった。
また、福岡へ行った節はよろしく~♪

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ブログ一周年

毎日がせわしく、あっという間に夏到来!
石川も梅雨入りでどうしてもバテ気味・・・
石川は涼しいけれど、この梅雨で、やや涼しくベタベタ感・・・
こんな感覚は初めてだぞ(涙)
と言いながらも、Karryは仕事にプライベートに精を出している。

さて、このブログも7月で一周年を迎えた。
週2・3回更新を宣言したもの、なかなかはかどれていないが(汗)、
それにも懲りず遊びに来ていただいた皆さんに感謝です☆
タイトルに「Karry わが道をゆく」と決めたのも深い意味がある。

常に道を開く人でありたい。
道を歩み通す人でありたい。
私の信頼している人たちを、自分を信じてわが道を進んでいきたい。
わが信念は今まで出会った人たちのおかげで築けていけたもの。
支えてくれた大勢の人に感謝をすべく、
人材が人材を作る道を私は歩む。
その意味で、一人一人との呼吸を大切にしながら、しっかりと
大地に足をふみしめ、わたしは「わが道をゆく」と決めた。

文章に書いて表すことは、自分の頭の中を