★旅人の足跡

魯迅公園

久々の更新です。GWはいかがお過ごしでしたか?
わたしは前半は風邪で、後半はもっぱら友人たちとゆっくり話をし、
まったり過ごしてきました。

さて、今回は中国旅行の続きです~♪

久々に中国の余韻に浸ったあと、翌日の午前中は上海を観光し、
午後は電車で呉時代の風貌漂う蘇州へ向かう予定になっている。
上海では色々な名所に立ち寄ったが、その中で、魯迅公園につい
て紹介したいと思う。

Rojin1 上海の中でも、大規模で緑地にあふれ、
見渡す限り人だらけの魯迅公園。
庶民の憩いの場として、くつろいだり、
運動したり、雑談したり、太極拳をしていた
り、自分を発揮して楽しんでいるそうだ。
どういうわけか、パンツ一丁でランキング
したり、筆をもって路面に立派な字を書いたり
しているおじさんもいて、なかなか趣があり、情緒あふれる風景だ。

日本と中国と公園の見方に違いがあるそうだ。
日本はどちらかというと、散策、家族や恋人のくつろぎタイムで
使われているが、中国では国が健康推進の場として公園を指定
しているそうだ。
いや、国の指定がなくとも、庶民が積極的に公園を使用している。
地域が庶民と密着しているのだ。
かつての日本もそうだったのだろうなあ。

少し奥を歩いてみると、魯迅先生の墓が見えてきた。
8年ぶりに「魯迅先生、ただいま!」わたしは心の中で声をかけた。
魯迅先生に対して、わたしは特別の思いがある。尊敬の念をもつ。
魯迅先生は医師を志し、日本に留学してきたが、戦争中、中国に
対し日本が犯したことを目の当たりにして、医師を断念、文芸の道
に転向、その道を究めていった。
「ペンは剣よりも強し」その諺どおり、次々と文学を書き続けた。
その代表的な文学が「阿Q正伝」。
最も苦しんできた民衆が主人公になるべきと魯迅先生はその世の
中を目指していた。魯迅先生は、わが身を犠牲にして、青年を守り
育てた。最後の最後まで青年を信じた。
その思想にわたしは惹かれたのだ。

魯迅先生の像を前に、色々と感じることもあったが、時間になり、
蘇州へ向かうべく、上海駅へ向かった。

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高層そびえ立つ上海

中国ネタです。
ろうあ石川300号を記念し、上海と蘇州を旅したことは以前、
ブログで紹介していたと思う。
正直言って、ツアーガイドがいるけど、年齢層の広い人たちを
まとめることができるのだろうかと、行く前は、かなりドキドキ
していた。
しかし、ふたを開けてみると、そんなのは杞憂にすぎなかった。
参加者一人一人が素晴らしくて、みんなで協力し合え、心に
残る旅行となった。

まず、上海の浦東空港到着。金沢よりいくらか暖かいように
感じた。
磁遊列車(リニアモーターカー)にのり、時速430Kmに一同
どよめき声が沸きあがった。そして時速430Kmの速度メーター
を記念とし、みんなカメラでパチッパチッ!
周りを見回すと、当然のことながら、外国人観光客だらけ。
上海の目玉として、観光客を取り込んでいるのであろう。

Photo 次にバスに乗ったが、このバスのデザインが
奇抜だった。
わたしたちは、そのバスを「犬バス」と名づけた。
どんなバスかは写真をご参照あれ。

8年という年月は上海をかなり変貌させていた。凝ったデザインで
それぞれが個性あふれている。
外灘を散策しながら、8年ぶりに訪れた地に、感慨深い思いで
流れる川を見つめ、しばし思いに耽った。
そのとき、ガイドさんの「そろそろ時間ですよ」との催促に、
あーわたしはツアーで来ているんだな・・・と今までなじんだ
個人旅行とはまったく違ったリズムで四苦八苦。
業務で来ているのだと職務感に心を切り替えて、よし!

夕食は広東料理を満喫した。
「めちゃくちゃ、おいしい!」という人もいれば、「辛くて食べられない」
とか「脂っこいね~」などなど、色んな人がいるから味の感想も
もちろん違ってくる。

宿泊先のホテルもかなり豪華で、私自身初めての経験。
ふわふわのベッドで、寝心地もグー!
翌日は汽車で蘇州へ行くので、上海駅はどのように変わっている
のか、魯迅公園は変わっていないのかななど、楽しみを胸に
抱いて、床に入った。
しかし、その後、私は8年の年月の重みを感じることとなる。

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8年間での変貌ぶり

ただいまー。中国から帰ってきました~。
今回は個人旅行ではなく、業務として団体で行ってきた。

石川県聴覚障害者協会の機関紙「ろうあ石川」が3月で
300号を迎えたのを記念し、ツアーを編成。
そのツアーに同行してきたのだ。
参加者は10代から70代までで、手話通訳者を入れて
総勢26名。

私の得意分野であるアジア。そして中国。
しかし、困ったことに、今回は自由気ままに旅するのでは
なく、予めスケジュールを決めて行く団体ツアー旅行である。
こういったツアーはまったく未経験で、無知の私。
8年前に中国を旅した経験を生かしながらも、年齢層が
広いために一人一人が満足できるように、いくつかの旅行
会社と交渉から始めた。
私自身、旅行会社に交渉する際、必須条件としてこだわり
をもったのが、
1.手話通訳者の旅費を考慮してくれること。
2.あらゆる交通手段を使うこと。
 (高齢者もいるので負担がかからない程度)
3.スーパーマーケットで買い物ができること。
 (高齢者と多人数により、市場よりスーパーが妥当と判断)
4.早朝、公園散策の時間が取れること。
5.上海市ろう協会と交流する時間を作ること。

1以外は、参加者に中国の庶民の呼吸を味わってもらい
たいというのがあった。
最終的に、希望を聞いてくれて、予定表を組んでくれた
(株)農協観光にした。
結果、この会社を選んで正解だった。
添乗員さんも素晴らしかったし、参加者一人一人が心から
満足してもらえ、本当にうれしかった。
旅行の様子については、今後、何回か分けてアップしたい
と思う。

私にとって、8年ぶりの中国。
上海は都市開発が進んでおり、凝ったデザインで並び立つ
ビルの垣間に、古い住宅が混在しており、経済成長を窺わ
せた。一方、蘇州は、2500年以上も有する長江文化の
古朴な風貌に圧倒させられた。
歴史の重みを感じたと同時に、世界を引っ張ろうとする新生
中国がそこにあった。8年という時間の重みを感じた。
この8年、日本は経済にあえいでいたが、隣国の中国は
目まぐるしく成長していっていた。
一日はたいしたことがないかもしれない。
しかし、年月を重ねていけば、後に必ず目に見てわかる。
中国が大成長していったことに、感心しつつ、自分の8年間
も同時に見据えることもできた。

では、つ・づ・く・・・・・・・・

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地雷博物館

アンコール遺跡群から地雷の話にうつそう。
カンボジアに入ってから、手足を失った大人、そして子どもも
よく見かけた。

アンコール遺跡群を鑑賞した翌日に、私たちは自転車を借りて
「アキラの地雷博物館」へ足を運んだ。
アンコール遺跡郡の近くにあるとのことで、地図を片手に、
未舗装の道路に、かなりの労力を使ったが、無事にたどりつけた。

立派な建物を想像していたが、実際は違った。
手作りそのもの、または地雷の怖さが直に伝わってくる建物と
いった方がふさわしいかもしれない。

「アキラ」という名前は、日本名ではなく、カンボジア人の名である。
日本人のような名前だが、カンボジアでアキーラと言うそうだ。
クメール語でアキは、太陽の神を意味する、そして、ラは、速く走る
ものをさす。速く走る太陽神、それが彼の名前の由来であるそう。
アキラ氏は地雷で怪我をした子どもたちを引き取り、家族と共に
生活している。
地雷博物館で生計を立て、地雷の除去に尽力を注いでいる。

彼は生まれたばかりの時、クメール軍に、村で小学校の先生をして
いた父親を殺され、母親をも殺された。よって両親の記憶はない。

クメール軍で引き取られ、教育を受けることもできず、兵士となる
以外、選択の余地はなかった。

彼もクメール・ルージュ政権(ポルポト)の犠牲者の一人だった。
その後、クメール軍、ベトナム軍、タイ軍に属し、多数の地雷を埋めて
いった。
だから、今、彼は懸命に地雷除去に徹しているのだ。

博物館では、いろいろな事を知った。
地雷の種類と除去した数の多さに驚いた。

それから、農業国であるカンボジアでは、生きていくために、
地雷地帯とわかっていても足を踏み入れ、農作物を刈ることが
最優先だという。
運により、地雷を踏むか踏まないか、生死といつも背中合わせの
状態なのだ。
地雷地帯の模擬体験ができるものがその博物館にあった。
「地雷は爆薬を抜いてありますので、命に問題はありません」
書かれていたけど、それでも、冷や汗をかいた。
模擬体験とはいえ、やはり、こわかった。

しかし、カンボジアの人たちはこういう環境下で生活をしている。
地雷が多く、人が住めない村を、アキラ氏が地雷撤去に身を捧げた
おかげで、村に人が住めるようになっていった。
それでも、まだ、アンコール遺跡群周辺には無数の地雷が埋められ
いる。今もなお世界のどこかで地雷や不発弾によって1時間に2人
という犠牲者が出ている。
地雷の真実、怖さをまざまざと感じた博物館だった。

平和とは。命の尊さとは。
博物館を出て、プノンペンへ向かうバスの中で、相棒と深く語り合った。

アキラの地雷博物館 http://peace.s9.xrea.com/

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東メボンのろう児

アンコールワットより北東に向かったところに、東メボンがある。
そこで、私たちは素敵な出会いに遭遇した。

その日は、まず、アンコールワットでサンライズを見ようと
早起きをして出かけた。実際、雲に隠れて太陽は見れなくて、
残念だったが、早朝のさわやかな空気の中、美しい微笑みを
するネバダ像や目を奪われるほどの緻密なリレーフなど一つ
一つ見物し、いざ、東メボンへ。

東メボンの遺跡といえば、952年ラージェンドラヴァルマン2世に
よって建てられたシヴァ派の寺院が代表的である。
ピラミッド型のように建立されていて、今はもうその周りは陸路と
化しているが、一昔までは水を湛えていて、船で渡っていたという。

さて、私はというと朝からフル回転で稼動したため、
さすがに疲れ、東メボンに着いたところには、少し休憩をとりたく、
日陰でちょっと仮眠・・・ZZZZ
私の相棒は、体力がみなぎっているので見物すると、上へあがって
いった。

心地よい、夢の中へ・・・
と、突然、起こされた。
相棒が私の目の前に立っていた。
彼女いわく「ろう児がいる!」興奮した口調(手話調?)で
話している。
でもこっちは寝ぼけているため、ちょっと頭がまわらない・・・
「嘘やんか?」
「まじやて!一緒に来て!」

重い腰をあげて、上を見上げると、子どもたちのまぶしい笑顔が
目に入ってきた。
屈託ない笑顔だ。
その顔を見た時、ピーンときた。
この子たちはろう児だ。
目を合わせた瞬間、お互い自然に「あなたはろう?」と聞いていた。
三人がろう児だった。

相棒に、なぜ、ろう児とわかったんだ?と聞いたら、外国人に
お金をせびる姿をみて、あ、もしかしてろうでは?と思ったそうだ。

「あなたはろう?」
このセリフは万国共通として、ろう者やろう児に出会った時、
まずかける言葉ではないかな。
こういったろう者やろう児との突然の出会いがとても嬉しい。
それから、子どもたちと色々なことを話した。
彼らの中には、日頃はろう学校へ通っていて、夏休みの今は、
家に帰っているという子、またろう学校へは通えていない子どもも
いた。
東メボンの遺跡が家から近いので、こうして、外国人を相手に
お金やお菓子などをもらいに来たり、遊んだりしているとのこと。
彼らとの対話を通して、彼らが個性豊かに成長できる未来、
それを作り上げるのは我々大人の使命なんだと感じた。

この出会いを思い出に刻みたく、この子たちの将来を願い、
何か残そうと私たちは話し合った。
写真をとり、絵の上手な相棒が日本とカンボジアの国旗と
「I love you」の手話の絵を書き、プレゼントした。
彼らはそれを手にとり、すごく喜んでくれた。

気がつくと、当初の予定より大幅に超過し、一時間半も
東メボンに滞在していた。
バイクタクシーを待たせた事もあって、もう出なければならない。
最後に彼らをぎゅっーと抱きしめ、彼らの持つ計り知れない
可能性を感じながら・・・
バイバイ!!

そうそう、かけがえのない出会いを与えてくれた相棒にも感謝!

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アンコール遺跡群

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石造りの建物・アンコール遺跡群についた
途端、 その石造物に、即座に惹きつけら
れた。これらは単なる石の彫刻ではない。
生命をも宿し、数世紀にも渡って私たち
人間を眺めている。そう感じ取れるものであった。

アンコール遺跡群の中には、今にも崩れ落ちそうなタ・プロームと
いうものもあったり、天井から壁下まで緻密に彫刻され、とても
幻想的なものなどあった。
アンコール遺跡群は9-12世紀のクメール文明の遺物だが、
1000年だった今でも、こうして、私たちはこのアンコールワットに
触れ、たたずむことができる。
はるか昔、アンコールワットを造ったというクメール文明の王様は、
ここで何を感じ、夕焼けをみ、何を考えていたのだろうか。
この場所にいると、数千年前に立ち返ったような錯覚に陥いる。
そしてまた、自分という存在が宇宙からしてみれば、波のごとく
小さな生命にすぎない、私が抱えている悩みは、プランクトンの
ようだとも思えた。
宇宙に溶け込むかのように、アンコールワットの塔でしばしその
空間を味わった。
生い茂っている森をみながら、自分の存在が小さく感じ、人間
みんな同じ仲間であり、争うことなど一つもないのだと感じた。
壮大な宇宙観を感じた。IMG_0113 

翌日は、サンライズを見ようと、早朝
アンコールワットへ赴いたが、雲が
空を覆って、どんよりしたままだった。
雨期だから、朝焼けも夕焼けも運次第。
あー残念・・・朝日を拝みたかった。IMG_0202
でも、そのかわりに、
夕方は運良く夕焼けが見れた。
アンコールから覗く夕焼けは格別だった。
オレンジの空に、感動ひとしお!!  

日程の都合上、あわただしく回ったので、まだまだ見足りなく、
後ろ髪を引かれる思いだったが、必ずまた来ると誓い、
その場に別れを告げた。
今度は1週間アンコール遺跡群でのんびりしたい。
see you again ! また行くからな!

次はアンコール遺跡群で出会ったろう児を書こう。

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ついにカンボジア!

胸高鳴る気持ちを押さえて・・・
シェムリアップ行きのバスに私たちは乗った。
一時間待たされて、発車。

アンコール遺跡群をたずねる前に、その地の意義を
知らなきゃ、意味がない!と
『悲しきアンコール・ワット』という本を手に
バスの中で読みはじめた。衝撃だった。
カンボジアの歴史を知っていたつもりだったが、
それは、表面的なものだと痛感した。

なぜ、戦争写真家の一ノ瀬泰造氏が、あれほど、
アンコールワットに惚れ、危険を承知で、あえて
クメール軍の陣地であるアンコールワット方面へ
飛び込んだのか?
志半ばで散った彼の命。
偉大なアンコール遺跡群がクメールの陣地?
自分なりに解せない気持ちがずっとあった。
しかし、この本をよんで、すべてが氷解した。
カンボジアの歴史の掘り起こしから、遺跡破壊の
真実等この本で学ばされた。

アンコール遺跡群の破壊は自然による破壊だけではなく、
ポルポト派の資金調達として、盗掘され、世界へ密売
されていった。
こういった盗掘をふせぐために、価値のあるものは
倉庫に入れられていたそうだ。

と、ふと外を見ると、
3時間でタイの国境の町、アランヤプラテートに来ていた。
車道も整っていて、スムーズにVISA取得所についた。
私たちは、日本のカンボジア大使館で、VISAをとって
いたので、手続きの必要はなかったが、手続き必要な
他の乗客を待つ事に。
彼らの手続きが終わるまで、私は、本の続きをよみ、
さざえは、大学に出すレポート作成に精を出していた。

そして、いざ国境へ・・・
タイ側のエアコンバスは乗り捨てることとなる。
タイを出国し、カンボジアに入国するまではおよそ100M
くらい離れている。その100Mは無法地帯である。
命が縮まる思いがしたが、その無法地帯に、周りの
風景に似合わない大きな建物が建設中だったが、
そびえていた。
それは何かと問うと、カジノだという。拍子抜けした。

カンボジアに入国し、その町・ポイペトで、リエルという
金貨に両替した。
まずはシェムリアップを目指しバスに乗ろうと待っていたが、
なかなか来ず、やっと来たと思ったら、20人乗りの
マイクロバスにギュウギュウ詰め。
座席も半ば壊れている。
ここで文句を言っても仕方がない。
シェムリアップまで無事にいけばそれでいいのさ。

ようやく出発したと思ったら、超~悪路であった。
未舗装道路で、穴だらけ。
ゆっくり走らせては、穴をよけたり・・・
足に力を入れて、体への衝撃を防いだりして・・・
バスガイトさんに、何時に着く予定なの?と身振りで
聞いたら、夜9時になると。
夕方着くとバンコクで聞いたんだけど、まあ、しょうがないや。
かなりゆれている。
車窓から覗く風景を、写真とるぞ!とカメラを抱えても、
撮ることができない。腕が上下に揺れてしまう。
日本では味わえない揺れ。
運転手さん、一生懸命走って・・・と、そのとき!
なんとパンクしてしまったのだ!
その場で修理し、また走らせて、しばらくすると、
また別のタイヤがパンク!!
紆余曲折あったが、無事に到着した。
時計を見ると、真夜中の3時半。
この悪路を約12時間私たちは走り続けた。
カンボジア人はタフだな。
眠くて、眠くて、ゲストハウスにようやくチェックイン。

明日はついに、一ノ瀬泰造氏の思いに触れる
アンコールへ行けるぞ!
と、私たちは、床についた。

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タイ・カンボジア道中記

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5年ぶりに訪れるアジア諸国。
八月、私は宝友サザエとタイ・カンボジアへ
約三週間の旅に出かけた。
平和を実感し、何かを得て、大きくなる旅に
しようと日本を旅立った。
長い間待ち焦がれていたアンコール遺跡群を
見たいという 騒動にかられながら、タイの
ドンムアン空港に着いた。

タイの蒸し暑く、排気ガスがこもった空気が妙に懐かしく思えた。
タイのバーツに両替し、エアポートバスに乗り、まずは、
パックパッカーで賑わっているカオサンロードへ。

カオサンにつくや否や、サザエとこれからのルートを
どうするかと相談。
カンボジアは空路より陸路で国境越えして行こうと決め、
翌朝、いくつかの旅行会社に当たって、バスの運賃などを
リサーチ。
「アンコール遺跡群で有名な
 シェムリアップまで エアコンバスで、250バーツ」
これに決めた!

ルートも決まったので、まずはタイマッサージで有名な
ワットポーへGO!
そこで、いきなり私たちは交通大都市バンコクの洗礼を
味わうことに。

広大な道路に、横断歩道がない。
どのように渡れば・・・周りをみると、タイ人は悠然と
車を避け、軽々と向こう側へ渡っている。
私も・・・と思っても、足がためらってしまう。
車のスピードどうにもならんか?と文句を言いたくなる・・・
タイ人の様子を見よう見まねでなんとか渡り、やっとの
思いでワットポーに着いた。
本場タイマッサージは、骨を鳴らす整体とマッサージを
二分割した感じで、 なかなか気持ちよかった。
疲れを癒し、翌日から始まるカンボジアの旅は
万全な状態で旅ができるぞ!と意気揚々になった。

IMG_0006_2_thumb その日の夜はタイのろう者の友人と
7年ぶりに再会した。
彼らは私のこと覚えているだろうか?と
不安になったが、会ったとたん、
「あー坊主だった人だったね!久しぶり!」と、
7年間の空白もすぐになくなっていった。
一緒に夕食を楽しみ、語り明かした。
彼らとの楽しいひと時を過ごしながらも、バンコクの充満した
排気ガスに、 段々頭が痛くなっていったのも事実。
寝れば直るかなと思いつつ・・。

バンコクで一夜を過ごし、翌日私たちはバスでカンボジアへ
向かう。

カンボジアについては、また後日アップするので、お楽しみに!

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アジア熱症候群?

体調を崩してしまった。

腰は痛いわ。鼻水はでるわ。頭が痛いわ。

どうやら、アジア熱症候群らしい。

実は、約3週間、タイとカンボジアを旅行して、

先日帰ってきたばかりだ。

私にとって、アジアを旅するのは、実に5年ぶりのこと。

行く前から、胸が躍ってたまらなかった。

道中、毎日が驚きと感動の連続だった。

アンコール遺跡群では壮大な宇宙観を味わった。

チェンマイでは過酷なトレッキングを体験し、

雄大なタイの自然も感じた。象の背中にも乗った。

カンボジアでは、ポルポト時代に生きた人たちの話も聞いたり、

行く先々で思いがけなくろう者、ろう児とも出会ったりした。

カンボジア、タイフード、マンゴージュース、

一泊250円のゲストハウス・・・どれも忘れられない。

帰国してみると、日本では衆議院選挙が巷を騒がせている。

ホリエモンが立候補?何のことやらと、

私だけ取り残されている気がする。

日本のリズムに軌道が乗らない!

体中、疲労感が漂っている。

友達と会って、リズムを取り戻そうとするが、

どうもいまいちだ・・・。

と、マンゴージュースをみかけ、これは!と思い飲んでみたら、

元気が出てきた。

わたしの体はアジアンフルーツを欲していたのだ。

マンゴージュースを飲みながら、徐々にリズムを取り戻そう。

アジア熱症候群。なかなかやっかいなものだ!

この旅行記については、改めて、写真も整理してアップしよう。

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