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能登半島震災支援

金沢の桜は今五分咲きです。週末か来週辺りには満開で
金沢を華やかにしてくれるでしょう。
四季とりどり魅せる兼六園の風情が、私の心を躍らせます。

能登半島震災は大きな爪あとを残したが、逞しくも現地に
暮らす人たちは「能登魂・人間魂」で復旧に向けて歩んで
いる。
先週「能登半島震災聴覚障害者対策本部」の支援隊として
輪島市へ2日間赴いた。
錯綜とした思いを抱きながら、早朝車を走らせた私を一掃
したのが、七尾湾に面した美しい景観。
ちょうど朝日がのぼっていて、波全体が銀波となり、一際
輝いていた。閉鎖湾岸のため波もおだやかで、のどかな
景色。連なる蛇行カーブを走行しつつ、一旦車を止めて、
七尾湾を照らす陽を私も一身に浴びたかったが、ここは
業務で来ている。
後ろ髪を引かれながらも、穴水経由で輪島へ向かった。
自然は本当に不思議なものだ。
その景観だけで、私の不安は一蹴されていた。

8時半輪島市役所に到着。緊張感漂う中、福祉課へ。
福祉課職員、県保健士、県センター職員、奥能登ろう協会
役員、手話通訳士と対面し、動きを確認、即対応に入った。

耳が聞こえない分、放送など音声で流している内容が行き
届かず、置き去りにされがちである。
能登という地は過疎化されていて、地域から孤立している
聴覚障害者もいるのかもしれない。
一日目は個人宅へ家庭訪問、2日目は避難所まわりと業務
を全うしてきた。

聞こえない人といっても様々なスタイルがある。
手話を媒体に生きるろう者、音声と聴覚に生きる難聴者、
加齢による老人性難聴と未就学のろう者。
それぞれのニーズに応じた支援と整理をしていきた。

倒壊した家、陥没した道路、倒れた石灯籠、鳥居、土砂崩れ
など、活動層プレートに関連があるのか、地域によって被害
度が違っていた。特に輪島市門前地域がひどかった。
ご存知のとおり、日本は地震大国である。
地震活動が活発だろうか、不活発だろうか、「地震はどこで
も起きうる」ことを肝に命じておかねばならない。
能登に限らず、今まで起きた大震災を教訓に対策システム
作りはもちろんのこと、社会的弱者におかれる防災ネット
ワーク体制の整備も忘れてはならない。
それに個々における意識向上も地震大国・日本に住む最低
の心構えにかかる。

今回の支援活動に赴いて感じたことがあった。
震災は当然の如く、全てをパニックに陥れる。
役所で働いている人も当然ながら被災者の1人である。
それでいて、仕事で市民救済、支援にと奔走する姿勢に熱い
思いを感じたが、疲労の蓄積は否めない事実である。
対策に追われる方々の体に懸念を抱きつつも、そういった
方々の働きにより、それぞれの家庭は地域につなげ、地域が
行政につなげていくことの大切さを学ばされた。

被災者の心身のケアや、避難所や仮設住宅を中心とした
新たなコミュニティ作り、聴覚障害者へのネットワーク体制、
倒壊・破損した家の修理・改築、また個々に重くのしかかる
精神的ストレスの排除など、取り組まなければならない課題
が沢山あるだろうと思う。
「頑張れ」ということはたやすいけど、現地の人はそうはいか
ないところもある。
しかしながら震災をバネにして、プラス的発想に切り替えて
みれば今まで手を出せなかった課題を震災だからこそ取り
組めたと考えたい。
周囲が支えていくことも大切であろう。

回ってきた人たちの語りを一つ一つ思い出しながら、沈黙
漂う能登の夜、車を走らせ、金沢へ向かった。
夜遅くに対策本部の待つ県センターに着き、皆さんの顔を
見た途端、緊迫した気持ちから、ホッとしたのか一気に気
が抜けた自分がいた。

次回は能登支援で感じたカルチャーショックを書こうと思う。

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