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One for All, All for One

なかなか更新できず、あっという間に月末。
仕事も活動も忙しく、何より今は10月31日より11月5日宮崎で
開かれるアジア太平洋ろう青年キャンプ(略称・APキャンプ)
の実行委員で、その準備に追われている。
本番まで残りわずかで忙しい日々だが、忙しいほうがかえって
頭が冴える!わたしの性分だろうか。
「忙しい」ということは「心」を「亡くす」と言われている。
そういうことにならないように、心に笑みと余裕を持たせるように
したい。

さて、本題に入る。
APキャンプの参加者も15ヶ国、50名は突破し、彼らのもつ力と
新たな刺激と出会いがどういうドラマを作り出してくれるのか、
今から楽しみに思っている。
実行委員のメンバーは、北は北海道から南は鹿児島まで20人
で構成されている。
育てられた環境も、人柄も、考え方も本当に千差万別。
だから、会議の進捗もなかなか面白いものになる。
お互い違った場所と立場だが、APキャンプの成功のために、
全員が頑張っている。そこに新鮮味があり、学ばされることも
けっこう多い。実行委員たちは30日に集うこととなっているので、
あと4日を残すのみ。
そこから1週間、わたしたちはハードな日々を過ごすのだろう。
一人一人が自分に打ち勝ち、一人一人がやりきった!という
充実感をみんなで共有したい。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
「One for All, All for One.」
その合言葉の如く、やりきっていく決意である。
11月3日から全国ろう青年研究討論集会が開かれ、参加される
方はフェニックスが並ぶ太陽の国・宮崎で元気に会いましょう!

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100歳になった我が母校

幼少の頃、母親の手に引かれて、入船の坂を登ったところに
木造校舎が建っていたのを鮮明に覚えている。
それが私の母校である小樽聾学校であった。
1歳の教育相談から中学3年生まで私はそこに通い続けた。

小樽聾学校創立100周年の式典がこのたび開かれた。
あいにく、私は出席できなかったが、後輩達から興奮やまない
メールが沢山届き、心は小樽聾学校にあった。

聾学校は「耳の聞こえない子どもが通う学校」である。
当時、聞こえない子どもを取り巻く環境は今ほど多様化された
ものではなく、選択肢がなかった。
私は、聴覚口話法で育てられた自分の環境に反発し、「ろう児
には手話と書記日本語教育を!」とバイリンカルろう教育の
活動に没頭した。
しかしながら、何か引っかかるものが少なからずあった。
「自分が育った環境を今のろう児には味わってもらいたくない」
と思うことで、自分を否定しているように感じるときもあった。
様々な葛藤に悩んだ。

手話の環境が少しでもあれば、「運が良かった」のか。
インテグレーションした彼らは「運が悪かった」のか。
成長した今ある姿は運の有無で決まるものだろうか?
それは否である。

今、私は思う。
「今の自分がとてつもなく、大好きだよ」
「KarryがKarryで良かった」
そして、
「あなたがあなたでいて良かった」ということが一番大切
なのだ。

今願っていることは、
聞こえない子ども達が「自分が自分でいて良かった!」と
いうことと、「あなたがあなたでいて良かったね」という当たり
前の優しさを持つことと恩を忘れないこと。
これこそが最も必要なのではないだろうか。

この原点に気づかされたのが、まさに、我が母校・小樽聾
学校である。
私たちは、ここで、他者との関わり方、遊びから学習への
意欲、物事への好奇心、様々なことを学んだ。
もし、小樽聾学校がなかったら・・・?

数々の先輩たち、後輩たちとも出会えることもなかった。
先生たち、寮母先生たちとも出会えることもなかった。
幼馴染たちと沢山冒険やいたずらすることもなかった。
全国各地にいるろう者の友人たちと文通することもなかった
だろう。

周りにいる聴者(聞こえる人)に自分の母校に思いを馳せる
のかと聞くと、そうでもないらしい。
培った青春時代を懐かしく思えても、母校にまで強い思いを
馳せることはないのだという。
私たちろう者は固有名詞「聾学校」に強い思いを馳せる。
心の故郷でもあり、家族でもある「聾学校」。
それはろう者たちの特権かもしれない。

ひょんなことで、mixiで先輩や後輩たちと再会を果たした。
今、はっきり言える。
小樽聾学校で育んだ絆は永遠に続くものだ、と。
我が母校・小樽聾学校よ、万歳!!!

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