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100歳になった我が母校

幼少の頃、母親の手に引かれて、入船の坂を登ったところに
木造校舎が建っていたのを鮮明に覚えている。
それが私の母校である小樽聾学校であった。
1歳の教育相談から中学3年生まで私はそこに通い続けた。

小樽聾学校創立100周年の式典がこのたび開かれた。
あいにく、私は出席できなかったが、後輩達から興奮やまない
メールが沢山届き、心は小樽聾学校にあった。

聾学校は「耳の聞こえない子どもが通う学校」である。
当時、聞こえない子どもを取り巻く環境は今ほど多様化された
ものではなく、選択肢がなかった。
私は、聴覚口話法で育てられた自分の環境に反発し、「ろう児
には手話と書記日本語教育を!」とバイリンカルろう教育の
活動に没頭した。
しかしながら、何か引っかかるものが少なからずあった。
「自分が育った環境を今のろう児には味わってもらいたくない」
と思うことで、自分を否定しているように感じるときもあった。
様々な葛藤に悩んだ。

手話の環境が少しでもあれば、「運が良かった」のか。
インテグレーションした彼らは「運が悪かった」のか。
成長した今ある姿は運の有無で決まるものだろうか?
それは否である。

今、私は思う。
「今の自分がとてつもなく、大好きだよ」
「KarryがKarryで良かった」
そして、
「あなたがあなたでいて良かった」ということが一番大切
なのだ。

今願っていることは、
聞こえない子ども達が「自分が自分でいて良かった!」と
いうことと、「あなたがあなたでいて良かったね」という当たり
前の優しさを持つことと恩を忘れないこと。
これこそが最も必要なのではないだろうか。

この原点に気づかされたのが、まさに、我が母校・小樽聾
学校である。
私たちは、ここで、他者との関わり方、遊びから学習への
意欲、物事への好奇心、様々なことを学んだ。
もし、小樽聾学校がなかったら・・・?

数々の先輩たち、後輩たちとも出会えることもなかった。
先生たち、寮母先生たちとも出会えることもなかった。
幼馴染たちと沢山冒険やいたずらすることもなかった。
全国各地にいるろう者の友人たちと文通することもなかった
だろう。

周りにいる聴者(聞こえる人)に自分の母校に思いを馳せる
のかと聞くと、そうでもないらしい。
培った青春時代を懐かしく思えても、母校にまで強い思いを
馳せることはないのだという。
私たちろう者は固有名詞「聾学校」に強い思いを馳せる。
心の故郷でもあり、家族でもある「聾学校」。
それはろう者たちの特権かもしれない。

ひょんなことで、mixiで先輩や後輩たちと再会を果たした。
今、はっきり言える。
小樽聾学校で育んだ絆は永遠に続くものだ、と。
我が母校・小樽聾学校よ、万歳!!!

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「★つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ケーコ:反応がすっかり遅くなってごめんね・・・。
コメントありがとう。
あ~さくらんぼの木、なつかしい!
私たちよくあの木によじ登ってはさくらんぼを取ったりしたんだよね。懐かしいです。はらはらした気持ち今でも覚えているのだ。
剥製ね、どうしているのだろう?新校舎を覗いたときはなかったような・・・?

投稿: Karry | 2006/12/01 21:42

久しぶり\(^o^)/
ずーっと仕事が多忙でね・・・
私も仕事で出席できなかったんだ。
うちらは1年先輩と一緒に勉強していたね。
サクランボの木があって体育の時間になると紅白帽子をカゴ代わりにして木を登り、サクランボ狩りをしたものだな~
よく先生のマネをしたね~
特に体育館の天井が低くてさ~バレーやバスケットなんかボールが天井に当たるのはしょっちゅうだよね~

100周年式典に出席した後輩よ~あの鹿の剥製は今でもあんの?

投稿: ケーコ | 2006/10/29 17:23

のこ:コメントありがとう♪
教育はろう者に限らず、人間にとって永遠に考えていくものだと思う。
いえいえ、無駄なことはない。うちは無駄だって思ったことないよ。ただ行動と言っている事が矛盾しているときには、あれ???理解に苦しむと思ったときがあったのよ。だからたどり着いた答えが「差異」なんだ。
そう思うと、取り巻く環境は全て意味があるのだと思えるようになったよ。ろう協会との関わりと、人との関わりを大切にするのこの行動は、心から尊敬しています。

南の島:コメントありがとう~☆南の島の学校ももうそろそろでは?

りさ・たくま:コメントありがと~♪
あ~、鹿の剥製なつかしー!昔は3頭いたが、暗闇の中に消えうせて2頭になったとか、そういう言い伝えがあったよね。ってか、聾学校の幽霊話をするってこと、どれも共通するんだよね~。笑
そうだね!先生のおかげだね。先輩や同級生、後輩たちとの関わりもあったからだよね♪一生涯恩を忘れない私たちでいようね。

たえでちゅ:コメントありがとう♪
あなたもそう感じたのね。私のみならず、ろう教育を味わった人でしか分からないことだと思うよ。
たえでちゅの子供たちの成長もすごく楽しみです~☆

クロネコヤマト:名前が書かれていないけど、きっとあなたでしょう?当たった?
コメントありがと~♪
うん、みんな兄弟みたいだったね。私とあなたは年が近かったからホントに色々やってきたよね。なつかし~!!
給食のおばさんも仲が良かったよね。食べ物を残すと、「おばさん、一生懸命作ったんだよ。食べなさいよ」と。
まるで母ちゃんみたいだったな。一つ一つが懐かしく、黄金の思い出です。

投稿: Karry | 2006/10/26 21:01

ねこみみ:メッセありがとう。
ねこみみの思いは聞こえない子をもつ母親としての共通の思いだろうと思う。何よりも大切なのは、揺れ動くのではなく、母親として選んだ信念を貫くことだと思う。それは何よりもわが子に通ずるのだろう。

あっきー:コメントありがとう。三重は75年だったの?日本各地の聾学校の歴史を探るのも楽しいかも。
ろう児への思いは人によってそれぞれ異なるかもしれないけど、最低限の保障は必要だと思うね。

ぷりずな :コメントありがとう。おー、がんばってまっせ♪ぷりずなも体だけは気をつけて楽しんで。

MAYU :コメントありがとう。遠い目をするMAYU、一瞬思い浮かんだよ!爆
子ども時代に培った経験は一生忘れることはできないよね。良さも悪さも。ハハハ。

投稿: Karry | 2006/10/26 17:41

karryと会いたかったよォ~

一人っ子の私にとって、小樽聾学校の生徒みんなが
兄弟のようであり、寮生活してても、寂しくはなかったよ。

先生や寮母先生や事務の人、給食のおばさん
用務員さん、みんな親みたいで
かわいがってくれたよね。

学校は新しくなっちゃったけど、仲間は永久に変わらないよ。

100周年記念は、懐かしい思い出にふけった日でした。

投稿: | 2006/10/18 20:59

泣けてくる話だねーじみじみ
分かるよ!!その気持ち。ウチもおんなじ☆

ああ、わが母校 大塚ろう学校!!
中学部の卒業式に泣いた私。
当時の心中では、「ああこの学校に通うのは今日で終わりなんだー12年間楽しかった思い出をありがとう。」
口話教育よりも友人や先生との過ごした日々が宝になっている。今でも鮮明に覚えている。
今のわが子は友人や先生に会うために、ろう学校に行っているようなものです。
勉強は一生涯学べることなんだと思う。
人を通して学ぶこともある。
私は、いろんな人のいるろう学校に通えてよかったと思っている。
ありがとうよ!!

投稿: たえでちゅ | 2006/10/16 23:20

私の母校も小樽聾学校でした。当日雨がすごかったけど、子供二人連れて創立100周年記念式典に参加することができた。私が過ごした校舎は古かった為、取り壊されてしまい、新しい校舎だった。古かった校舎は走ったり、騒いだりすると、振動がするほどだったし、トイレはくみ取りだったし、2匹の鹿のはく製があって、夜になると動かすよと幽霊の噂があったし、いろいろ懐かしかった。寄宿舎時代、過ごした年が随分離れた先輩と会えたし、少数のせいか年が離れても皆、知ってるって小樽聾学校だけだろうか。
私が中学時代に幼稚部にいた後輩も20代になり、大人になったと信じられなくて今どきの若者がいたんだねと嬉しかった。先生方も会えて、今の私がいたのは先生と出会えたと感謝してるし、卒業して18年も会わなかった先生と会えたのは嬉しかった。白髪が増えたなあ、年をとってないように若いままだった先生もいた。
親の知り合いでろう協会の友達も小樽聾学校の大先輩だったので、久しぶり会えたし。
確か、小樽聾学校にいた時は、厳しく教育されたけど、先輩、幼馴染、後輩も、永遠に友達が出来たことは。。
だから、教育がいい学校でも、是非、娘を、聾学校に行かせてあげたいと思ってる。

投稿: りさ・たくま | 2006/10/15 23:39

もう100年になるのですね・・・
おめでとうございまっす!
小樽聾学校があっての今のKarryなんだと思う(*^_^*)

投稿: 南の島 | 2006/10/14 23:17

教育を改めて見直していくということは必要なこと。聾者にとって教育問題は、尽きることがないのかもしれない。わが子も学校でつらい思いをする時がしばしあって、そんな時学校帰りに聴覚障害者協会に立ち寄り、思いを吐き出して笑顔になって帰ってきたりする。仲間や、先輩が親身になってくれる姿をみてやさしさを知ったり、人と人とのつながりの大切さを学んでいける。どうやって生きていくのかを、もう8歳なりに考えていこうとしているのだと気づかされるときがある。
どんなところにも、学べるものはたくさんあるはず。無駄なものなんて思わないで・・・そしたら、きっと「自分が自分でいてよかった!」と素直に思えるんじゃないかな~
娘にも、そう伝えていきたいな~と思うよ!

投稿: のこ | 2006/10/14 09:48

お久し振りのコメントで~す♪ずっとコメント入れなくてごめんね。我が母校が100歳・・本当に早いものです。
口話法で育てられた為、色々苦悩があったけど少人数ながら兄弟のように賑やかに過ごしたよね。(遠い目・・)
当たり前のようにいたずらしたり、喧嘩したり、仲良く遊んだりしながら喜怒哀楽を分かり合って。。

この度祝賀会に出席したけど、最初はドキドキ不安だったが、先生方、先・後輩達の顔を見たら何だか嬉しかった。
「久し振り!」「元気?」「変わらなくて良かった」と満喫な笑顔で接してくれた。年は取ったけどやっぱり先生は先生だなって。後輩達も「小さい頃いつも可愛がってくれたんですよね。今でも覚えてますよ。」だって!嬉しかったね。絆は強いもんだ。
あんな事、こんな事があったからこそ今の私がある。
小樽聾学校は大好きだと改めて思えるようになった。もし、小樽聾学校がなかったらどうなるのか、全然思い浮かばないよ。

小樽聾学校で培った青春時代、私にとって宝物の一つです。
この固い絆、永遠に。
我が母校・小樽聾学校万歳!!

投稿: MAYU | 2006/10/13 20:34

がんばれ!
それだけしか言えないが・・・

投稿: ぷりずな | 2006/10/13 08:48

100年おっめでとうございます。
三重は75年になっていると思うけど・・。
手話での教育改革を発展させたいね。

投稿: あっきー | 2006/10/13 00:35

「自分が自分でいて良かった!」私の娘も大きくなったらそう思ってくれるだろうか?娘の周りにも聴覚口話法の友達、人工内耳をしてインテグレーションしている友達などコミュニケーション手段の異なった友達がいる。娘の場合、娘の幼少の時の様子から私が手話でのコミュニケーションを選んだが、未だこれでよかったのかという思いがよぎることがある。永遠にこの思いは続くだろう。でも娘が大人になったときに「自分が自分でいて良かった!」と胸を張って言えるように、友達と切磋琢磨して成長していってくれれば…と思う。またそうなるように母も日々努力しきたいと思う。

投稿: ねこみみ | 2006/10/12 22:14

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