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宝友たちよ、多幸あれ!

25日に大切な我が宝友・マコとサザエが皆に祝福されながら
入籍した。
私は、彼らに何度も助けられてきた。感謝してもし尽くせない。
様々な波浪があったとしても、私達の絆は固く、深く絶対に
切れることはない。
私たちは心から信じあえるそんな関係である。
あなたたちに出会えて本当に良かった。そして、ありがとう。
今度会うときは、夫婦として会うこととなる。とても楽しみだ。
妻としての責任、夫としての責任をこれから担い、一つの
家庭を築く彼らに多幸を祈るばかり。
彼らなら、夫婦一体となり、どんな困難でも乗り越えていける
であろう!
本当におめでとう!

それから、もう一つ。
先週も、別の宝友・ぴのごんが結婚し、その挙式、披露宴に参列
してきた。
彼女の人生で幸せなときを一緒に味わえ、幸せをお裾分けして
もらえた。そして、友人代表としても祝福のスピーチを真心こめて
送らせてもらった。
年のせいか?
最近、友人代表としてスピーチをやらせてもらう機会が増えて
来た。ある友人から指摘されたのだが、スピーチ中、私の手は
震えているという。よくよく考えてみるとそうかもしれない。
手の震えは、緊張からではなく、宝友の幸福を心から喜び、
気持ちがこもりすぎて、手にあわられ、震えてしまう癖がある
ようだ。
みなさんも、そういう経験あります??

「喜」と締めくくるにふさわしく、宝友たちの結婚で幕を閉じつつ
あるこの1年。残りわずかになった2005年を最後の最後まで
「喜」を満喫していくぞ!

マコ、サザエ、ぴのごんよ、新たな二人三脚の人生の門出に乾杯!

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石川面白発見~雷~

前回の金沢面白発見~長靴~ではすごい反響をよび、
私自身驚いている。みんな楽しんでくれたみたいで、
次のネタもまだあるので、どんどん投稿しちゃおう。
「金沢」の部分を「石川」に変え「石川面白発見」として、
加賀や能登など幅を広げて発見していこうと思う。

さて今回はもう一度金沢について。

ここ金沢にきて驚かされたのは「雷」!
え?雷?たいしたことないジャン?と思われがちだけど、
金沢には異常なほど雷が発生する!
昨日も降りしきる雪の中、雷が何度か鳴った。
雪なのに雷が???と、眉をしかめる私の横で、職場の
人が一言。
「これから雪がひどくなるね」
「え?」
しばらくしたあと、その人の予言どおり、雷はおさまり、
やがて猛吹雪となっていった。
雪の魔王と化したように吹き荒れ、おーこわい・・・雪の
女王の物語をイメージしてしまった。
私のもつ雷のイメージは、夏、台風とか雨が降るときとか
に鳴るものだとばかり。しかし、金沢ではそれはまったく
あてはまらない。
ここの人に聞くと、雷が多いと冬が来たなって感じになる
って。
おったまげたもんだ。北海道には冬に雷なってたっけ?
天気が崩れやすい石川の特徴なのかな?
何はともあれ、金沢にいると、傘は日常の持ち物になる。
私も自転車には後輪とサドルの間にはさみこんで、毎日
持っている。

これも金沢の魅力の一つだ。金沢の冬さん、よろしくね。

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金沢面白発見~長靴編~

今日より、「金沢面白発見」というカテゴリーを増やした。
今後もそういうテーマのもと、書き込みしていこう。

今年は暖冬といわれていたが、予想を大きく外し、日本全体が
大寒波で覆われ、ここ北陸も大雪に見舞われている北陸だけ
でなく、九州、名古屋でも珍しい大雪に。これは「想定外」か。

さて、私は、降りしきる雪のおかげで(?)、自転車通勤ができず、
職場まで歩いている。
何気に歩いて出勤をしてみると、同じ道でありながら、自転車では
見過ごしていたものが、目に止まる。
と、周りを見てみると・・・
「長靴のオンパレード!!」

雪が降り始めた頃、職場の人に、
「長靴買いなよ」
「えー、かっこわるいの買えないよ。」
「金沢の雪は重たいから道路もびしょびしょになるんだ。
長靴がベターよ。デザインもおしゃれなものが増えてきているよ。」
「ふふーん・・・」
あの時、職場の人に言われたことが今ようやく分かってきた。

いざ、家へ帰ろうと外に出たとたん、一見雪に見えても、そこは
びしょびしょで、くつがあっというまにずぶぬれとなってしまった
のだ・・・
北海道の雪道に慣れていたため、金沢の雪道をあなどっていた。
北海道とはまた別の雪道だ。
しかも、道路には、雪を解かすために、スプリンクラーのように、
道路のところどころから水が湧き出ている。
おかげで、道路に雪はないが、道路の脇には水がたまって
しまって、道路を渡るときの難所となっているのだ。
でっかい水たまりが目の前に立ちはばかり、 どうやって渡ったら
いいのか、右往左往・・・。
水たまりごときに神経を使い果たし、どっと疲れてしもうたため、
長靴を買うべく片町へ直行した。
見てみると、職場の人がいうとおり、カラフルな色もスポーティな
長靴もあって、目を見張った。
色々あって迷ったが、ダークブラウンの長靴を購入して、早速
その場で履き替えた。

すると、さっきまで水たまりに悩まされながら、歩いていたことが
夢のようで、すっすくすっすくと歩けるようになった。
職場の人いわく、私の長靴姿は、まさに競馬の騎手さんみたい
だと。

今朝も長靴をはいて、職場へ向かったのだが、みんなの足元を
改めて見てみるとみんなそれぞれ特有の長靴を履いている。
まさにオンパレードや。
異様というべきか、金沢人の生活の印というべきか。

雪国暮らしとはいえど、似ても似つかない、北海道と石川。
毎日が新しい発見である。

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金沢の雪

snow 今日も雪がこんこん降り続いている。

雪が降ることで、最近は、仕事が始まる前に、
雪かきをするという業務が始まった。
そのせいで、私の体も筋肉痛・・・
といいつつ、雪かきは運動不足を解消できる
から、まっいいか。

今思えば、雪国育ちとはいえど、高校を卒業と同時に、上京
したから、雪国で仕事をするのは初めてだ。
だから、この雪かき業務も新鮮な気持ちになる。

いざ、雪かきをすると、北海道で雪かきをしていた頃のことが
みるみるよみがえってきた。

「雪は重い!」

そうだった。雪は「軽い」ものだけでなく、「重い」という形容詞も
使えたんだった。
金沢の雪は、水分を多く含んでいるぼた雪だから、積もると
余計に重く感じたのかもしれないな。
長い間、空白だったが、体がしっかり覚えていて、雪の重みを
体感しながらも懐かしさを感じた。

この寒波で、筋肉痛になったものの、毎日絶景な雪景色が
みれほくほく!
機会あれば、みなさんも雪かき体験+絶景!雪景色観賞に
いらしては?

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今年の世相漢字

今年の世相を象徴する漢字が清水寺にて発表された。
今年の漢字は「愛」だという。
児童の命がたやすく奪われ、おかしな世の中に「愛」と
掲げたことに、なんだかなあと違和感を感じたのは私
だけではないだろう。
しかし、理由を見てみると、紀宮様のご結婚、愛子さまの
活躍のほほえましい成長、愛知地球万博、それに、最近
愛情が足りないから事件が多発しているという意味も
含めてのことだそうだ。
心が痛む事件もあったが、心和むニュースもあったことも
確かだし、「愛」がふさわしいのかもしれない。

私自身、自分の1年間を振り返ってみて、漢字を一文字に
表すのなら、どういった漢字になるのだろう・・・と考えてみた。

「喜」の一文字に尽きる。

今年一年間は自分自身の中でも大きな過度期となる年だった。
様々なことがあったが、おかげで色々な人と出会え、学びあい、
語り合えた。
関わった全ての人に感謝と尊敬の意を持てるようになった。
それにより自分も相手も大きくなれたことに、一番、
感じている。
そればかりでなく、周りの友人が相次いで結婚、出産などの
喜ばしいニュースばかりだったし、日本海ならではの、石川
の魚も口にしているから、喜び倍増!

友人や職場の人たちに聞いてみるといろんな答えが返ってきた。
「催」「老」「躍」「夢」「動」・・・・
一人一人、それぞれ何かを感じながら、
一年を過ごしたのかなと思う。

みなさんもこの一年間を漢字に表すのならどういった漢字に
表すのかな?? 興味シンシン・・・笑
http://www.kanken.or.jp/frame/2004kanji.html

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かた雪かんこ、しみ雪しんこ

snow ここ金沢も冬が本格的になり、今日も雪が
降っていて、心躍ってしまった。
生まれも育ちも北海道の私は、冬の寒さを
有意義に親しんでいる。東京に越して、東京
の冬に慣れるまで数年かかった。
雪があまり降らないことに、冬をなかなか
満喫できなかった。

ここ金沢に降る雪を見ていると、思わず、宮沢賢治の造語
「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」がふと頭にうかぶ。
金沢は豪雪地ではないので、かた雪でもしみ雪でもないかな。
もう少し、見てみよう。

「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」という言葉は、宮沢賢治の
「雪わたり」の一節にあった。
狐の紺三郎と、人間の四郎とかん子の兄弟の心温まる友情
物語である。
「キック キック トントン」心弾む軽快な音を耳に、いつしか、
昔のことを思い出していた。弟と一緒に雪で遊んだことや、
おばあちゃんの山に登りながら、真っ白に広がるきれいな
雪原に、自分の好きなように足跡を作ったり、歩くたびに、
雪の音が体に響いていて、所々違っていることも発見して
いったり。
雪の上を歩く、この快活な気持ちは雪と戯れたことのある人
でしか知りえないだろうな。
「雪わたり」を読むと、宮沢賢治は子ども心をうまくつかみ
とっている。そして、自然の中に生きているということを改めて
私たちに気づかせてくれている。

そして、この物語にはもうひとつ大切なことを示唆している
ように思う。
「狐はうそをつく」と人間たちに広まり、人間はその噂を信じた
ままでいる。しかし、狐の紺三郎と接した四郎、かん子は「狐は
うそをつかない」と自分の目で、判断していった。
四郎、かん子は相手を信じることによって、この悪循環を断ち
切ったのだ。
悪循環を断ち切ることは、誰かがやることではなく、自分の胸中
次第なんだと思えたストーリーだった。
私たちのいるこの世界でも言えることだ。

みなさんも、ぜひ読んでみてはいかが?
あー、子どもたちに、絵本の読み聞かせをしたくなる本がまた
一つ増えた。とても楽しみだなあ。

P.S しばらく更新ができませんでした。
   懲りず遊びに来てくださった方、ありがとうございます。

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もも絵、受賞される!

_007 11月17日のブログ
「加賀友禅に生きる友人」で紹介した
もも絵の作品「市松取りアネモネ」が、
23日~28日に開かれた、
加賀友禅青花会創作展で
青花会長賞を受賞された。

おめでとうございます!!

青花会とは、賀友禅作家に師事する若者たちが、
作品を制作し発表する場で、毎年1回この時期に
開催されている。
去年も受賞されたと聞いたので、その作品を
今度このブログにもアップさせてもらいま~す。

石川には意外と、伝統工藝に生きるろう者が多いことに
驚いた。加賀友禅をはじめ、輪島塗、山中塗、九谷焼。
芸術を極める人たちから学ぶことも多いこの頃。
伝統を保ち続けることは、本当に大切だと思う。

最後にもも絵、本当におめでとう!o(^^)/

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母の涙

聞こえない子どもをもつ母から、ある話を聞いた。

子どもを定期的に病院に連れて行っているが、
ある時、泣き止まないわが子に対し、医者から怒鳴られ、
それから、病院へ行くのに気が引ける。
それでも、行かねばならない、と言う。

その話を聞いたとき、自分の昔の出来事をふっと思い出した。
忘るることのない母の涙。

いつだったか忘れたけど、確か中学生だったかと思う。
胃に激しい痛みが続いたため、母は私を病院に連れて行った。
しかし、胃の痛みに波があり、医師に見てもらうころには
痛みが引いていた。
さっきまで、胃がキリキリするような痛さがあったけど、今は
引いている、と医師に病状を説明した。
医師は触診で私の腹部周辺を触りながら、「痛いか?」と
聞いた。今は痛みが引いているので全然痛くないと答えた。
そしたら、医師は突然、フッと笑いながら、母に向かって何か
言い始めた。
すると、母の顔がだんだん険しくなっていくのがはっきりと
わかった。そのあと、医師と母は口論のように、言い合いに
なっていった。温厚で、ちょっとおっちょこちょいの母が真顔で、
医師に詰め寄るように何かを言っている。
当然ながら、私はろう者で、母と医師とのやり取りが耳に
入らない。目から得る情報で何が起こっているのか覚ろうと
していた。と、突然、母が涙を流した・・・・
涙を流しながらも、なおも医師に何かを言い続けている。
しかし、医師は貸す耳もなく、母に返答しなくなった。
看護師が「どうもすみません」と言うのが読み取れ、その後も
看護師だけは、母にしきりに謝罪をした。

母は「出よう。他の病院へ行こう」と、私たちは病院を後にした。
異様な雰囲気が漂い続けた診察室を出ても、母は泣いている。
後味の悪い病院だった。

私は母に聞いた。私の大切なお母さんが泣いている・・・
「私の答え方が問題なの?
医者はお母さんになんて言ったの?」と。
母は私に答えた。
「痛くないと言っているし、なぜ病院に連れてきた?
親子のコミュニケーションが通じていないじゃないの?
と医師は言っていたのよ。
そして、医師は大切な娘、そのものを冒涜した。
娘が耳が聞こえないから馬鹿にしたのではない。
医師の人間性に問題があるのよ。
医師はね、私たちの体を治してくれる立派な職業だけど、
人間として生きるあなたを馬鹿にした。
だからお母さん怒ったのよ。」
そう言った母が流した涙は悲しい涙ではなく、悔し涙だった。

わが子の耳が聞こえないからとお母さんたちが引け目を引くの
ではなく、わが子を一個の人間として扱ってほしい。
医師も人間、すべてが正しいわけではない。
聞こえないとか聞こえるとか浅はかな視点で判断するより、
医師に、子どもの気持ちを、そして雰囲気をキャッチする能力
がなかったと私は感じた。
医師は、人を一人の人間として、診なければならない。
しかし、心無い医師は、自分のプライドばかりに気をとられ、
人間というより、聞こえることを優越と考え、聞こえないことを
劣等としている。
その誤りにより、適切な診断を下せない。
そのことに、聞こえない子どもをもつ親も、もちろん聞こえる
子どもをもつ親もすべての親が気づいてほしい。
わが子を、一人の人間として、尊重し、その子どもにあった
適切な治療を受けれるようにしなければならない。
ろうの子どもとは、通じ合えないと決め込んで、子ども自身に
質問しても、意図する答えが返ってこないと思い、子どもの
声には耳を貸さない医師もいる。

こうした医療現場での問題を母親自身だけで、抱え込まないで、
同じ経験をもつ親や関係者みんなで相談しあい、子どもたちを
育てていくことが大切だと思う。
私もそういった場へ出向き、参考になればと自分の体験を
語っている。

私は改めて、母が流した涙を考えた。
母は娘の私が聞こえないことで悲観的になったのではない。
むしろ娘の私をろう者というより、人間としての私を見ていたのだ。
誰だったかの至言か忘れたが、
「人間、原点に帰れ」それを思い起こした。

お母さん、ありがとう。

(追伸)もちろん、心無い医者だけでなく、きちんと子どもに向き
合ってくれる医者も数多くいるということを付け加えておきたい。

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