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黒人公民権の母よ、永遠に

24日アメリカの黒人公民権の母・ローザパークス女史が永眠
された。
老衰による逝去だったそうである。

私が黒人公民権運動について詳しく知ったのは、映画
『ロング・ウォーク・ホーム』であった。
そして、私の母校である創価大学で、女史の功績があげられ、
彼女について学ぶ機会に触れた。

黒人差別がまかりとおっていた時代、アメリカでは、生活上、全ての
ものが黒人用、白人用と隔てられていた。
1955年12月、モンゴメリーのバス車中でその出来事は起こった。
仕事帰りの彼女は仕事の疲れもあり、空いている席に腰掛けて
いた。
その頃は、白人に席を譲らなければならないという法律があり、
アフリカ系アメリカ人の彼女も当然、席を譲らなければならない立場
であった。
しかし、彼女は仕事の疲れや日々の不当な人種差別に疲れ果てて
いたため、席を譲ることに「NO」と発した。
勇気ある、静かなるこの叫びが、仲間達の「しかたがない」という
あきらめの闇を打ち破る夜明けとなった。
仲間達の共感が、バスボイコット運動に広がり、マーチン・ルーサー・
キング牧師を中心に公民権解放運動に展開した。

女史の勇気ある一言が波紋を呼び、ついに、合衆国最高裁判所で
人種隔離は憲法違反と歴史的な判決が下った。
こうしてアメリカの歴史に貴重な一ページが刻み込まれていった。
たった一人の婦人がアメリカ全土を動かしたのだ。

自分を大切にし、人を大切にする。
そこに、「人権」の出発があるのではないだろうか。
反対に、自分を高めようとせず、人を貶めようとする傲慢から、
差別は生まれる。
傲慢は“自信のなさ”の表れでもある。
彼女は絶対に「差別の心」を植えつけてはならないと未来を生きる
子どもたちの育成にも力を入れていた。
彼女の信念からまた多くのことを教えられた。

毅然と信念を貫き、権力への魔性に悠然と立ち向い、わが道を
全うした彼女。
彼女の素晴らしい人生に敬服し、冥福を祈りつつ、合掌・・・

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石川とわたし

最近、何人かの友人より宅配が送られてきた。

本をプレゼントされたり、寒い石川で腰を痛めないようにとクッションを

送ってくれたり、おいしいお米や野菜、産地の名物を送って
くれたり・・・

この場を借りて、「ありがとう」

温かい心がうれしい。離れていても心はいつもそばにある。

小さな幸せをありがとう。

ある倫理学の本に、カントについてこう書かれていた。
カントは20代、30代の時には、ひたすら知識を求め、自身も
「根っからの学者である」と自負していた。
しかし、40代になり、ルソーの教育書「エミール」と出会い、カントは
自身の
うぬぼれを痛感させられることとなる。
「ルソーが私を正してくれた。幻惑的な特権(知識人だけが偉いと
いう特権)は
消滅し、私は人間を尊敬することを学んだ」

彼の経験に共感を得ることがある。
彼はルソーによって触発され、人間として
正しい幸福を感じ取ること
ができた。
私はろう者である。しかし、それ以前に人間である。
長い間、「人間とは」「手話とは」という答えを探し求め、葛藤しながら
悩み続けてきたが、
石川に来て、やっと氷解できてきたように思う。
長い年月がかかったが、決して遠回りではなかった。
石川は「わたし」を求めてくれていた。
そして、私も「石川の人と地」が必要だった。

エリートを育てるのではなく、人間を感じさせる人材を。
人間性あふれ、人の心がわかるリーダーを育てていきたい。
そのためには、私自身が、しっかりと二本足で大地に踏み立ち、
確固たるものをもって、みんなに接していかなければならない。

ろう者をろう者としてみるのではない。
人間を人間としてみる。
このことがはるかに重要なのだと、石川でそう確信をもつことが
できた。

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青春とは何だろう?

ロッテが日本一に!

私の記憶では、ロッテは弱小というイメージだった。
でも、バレンタイン監督になり、本拠地も千葉へ移ってからという
もの、とんとん拍子で日本一となっていったように思う。

ロッテが優勝したから、ガムはバーゲン対象となるのかな?
梅味のガムが大好きな私なので気になる!
韓国のソウルのロッテデパートもバーゲンの対象になるかな?

それはともかく、私の父ちゃんはアンチ巨人だったけど、私と弟は
巨人を応援していた。
ウォーレン・クロマティが在籍していたときや長島監督が指揮を執り
松井が在籍していた巨人は最絶頂だったな。
しかし、それも、松井が大リーグに移籍してから、いつしか興味を
示さなくなってきた。
強い選手を揃えて、競うよりも、私は、それぞれの選手の持ち味を
生かす戦法が好き。
だからかもしれないが、プロ野球よりも、高校野球の甲子園に純粋に
胸を打たれる。
「全員野球」「一時を大事にする」その精神や、行為がすごく伝わる。
野球を仕事にする前に、野球に青春をかけるという思いが甲子園を
沸き立たせるのだと思う。

青春は、一般的に20代前半までをさしているのかもしれない。
しかし、思うに、あの時は若かったとか、苦い青春だったとかとよく
耳にするが、
年齢に青春の境界はないのではないだろうか。

私の知っている長野にいるろう者のおばあさんは
「私たちはね、おばあさんと孫のような年齢の差だけど、私はね、
毎日が
青春なんだよ。若いごろのように、あまり無理なことはでき
ないけど、人生はね、生涯、
建設なんだよ。それが青春!
頭がいいとか、わるいとかは関係ないんだよ。人間としてどうかで
決まるんだよ。
青春はね、自分の心が決めるんだよ。」という。

青春って一生、味わっていけるものなのだと改めて考えさせられた
言葉であった。

ロッテの優勝の話から、青春というテーマの話まで至り色々なことを
考えたが、
何はともあれ、31年ぶりの日本一おめでとう!
あまりにもあっけなく日本シリーズが終わってしまったが、
来年は古田ヤクルト、原巨人、野村楽天の動きも楽しみなもんだ。

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毎朝の出勤で

めっきり、肌寒くなりましたね!

ここんとこ、何かと慌しく、更新が遅れてしまっている。

週に2,3回は更新するぞと意気こんでいた私だが、今週はまだ
一度も更新していない!

やば!

頑張って、更新していくので、見守ってください。

毎日更新している人が羨ましい!笑

私は毎日、職場の石川県聴覚障害者協会センターまで自転車で

通勤している。

兼六園を隣に、街路樹に囲まれながら、スィスィと進んでいる。

職場は、家から見てちょうど東側にあるので、朝日を真っ向から
浴びながらの自転車は本当に気持ちいい。

ここ金沢は、朝が暖かくて、夕方からはかなり冷えてくる。

朝夕冷えるのが普通だが、朝が暖かいのは石川の特徴かと同僚に

きくと、温暖化のせいか、今年の気温はおかしいのこと。

そういえば、北海道も今年は東京ほどではないが、猛暑だった

らしく、この夏、今までにない勢いでクーラーが売れたそうだ。

その北海道もようやく、紅葉が始まったそうだが、金沢にはいつ

紅葉がくるのだろう。

紅葉を心待ちにしながら、自転車をこぎ、職場へ向かうのも楽しみの
一つである。

さて、職場の施設長で、石川の母でもある北野雅子さんが季刊みみ

MIMI秋号に掲載された。

北野さんの人間性が彷彿されていて、読んでいても暖かい気持ちと

なる。ここ石川では北野さんを慕う人が多く、「石川の母」という

言葉がまさにぴったり合う方だ。

みなさんも、ぜひ読んでみてください。

MIMIを購入していない人はこれを機に購読してみてはいかがでしょうか?

ちょっと、宣伝してしまいましたが・・・

http://jdn.jfd.or.jp/index.html

(注)ウェブサイトでは最新号はまだ掲載されていません・・・

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宝友よ 幸せに!

宝友がこのたび、入籍し、家庭を築くこととなった。
彼女とは、今は亡き親友から恋人として紹介され、出会った。
それを機に、友情を育むようになり、色々な書物のこと、哲学、
人生について語り合い、
会う度に感化された。
一を聞いて十を知る、そんな友だった。

そして、私たちの間に深い友情が築かれはじめた時、
彼女との出会いをくれた親友が、突然、宇宙へ逝ってしまった。
恋人であった彼女の悲しみはどれほどのものであっただろう。
けれども、その悲しみを乗り越え、強くも前へ進みはじめた宝友。
強くなるということは、すばらしいことだ。
強くなる事で、悲しみは、心の糧となり、彼女を幸せへと導いて
くれる。
私はそう信じ、見守っていった。

しかし、その後、自分の忙しさに気を取られ、彼女ともなかなか
会えなくなっていた。
そんなとき、純粋に「カリーと会いたい。会えない?」と連絡を
くれた。
忙しくて、いろいろとあり、窮地にいた私に、その言葉は
温かくも
感じた。
2年ぶりの再会に、私たちは、今までの空白を埋めるかのように
抱き合った。
変わらない宝友・・・

生涯のパートナーを見つけたと、報告してくれた。
そして、心の奥にいる亡き親友の思いも語ってくれた。
幸せそうな宝友。
今まで出会った人たちがいたからこそ、今のあなたがいるんだね。
さまざまなことを学べたと思う。すべてに感謝するんだよ。

そして、先日、はちきれんばかりの笑顔で、パートナーを紹介して
くれた。
その顔を見て、安心した。
心の中にいるかつての恋人とも一緒に生き、すべての人に感謝の
思いを抱きながら、
原点を忘れずに、二人三脚で歩んでほしい。
宝友の生涯のパートナーとなる人へ。私の大切な宝友をよろしく。

あなたたちの幸せがわたしの喜び。

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愛知は西?東?

石川県に来て、早1ヶ月。ブログのコメントにも書いたが、

石川県が西日本に含まれると知ってかなり驚いた。

私と同じように石川県を勝手に東日本と思い込んでいた人も
少なくないだろう。

この話題について、九州出身の友達と話したところ、やはり
彼女も
石川県は東日本だと何の疑いもなく信じていたという。

その彼女がこんな質問をしてきた。

「じゃあ、愛知県は東と思う?それとも西?」

私は少し考え、「愛知は西だ」と答えると、

「いやいや東だよ」と異論を述べてきた。

「いや西!」「違う、東!」と両者、一歩も譲らぬせめぎ合いに
なったので、
判定基準をNTTに委ねることにした。

インターネットで「NTT西日本」と検索し、その支店に
名古屋支店が
含まれているかで勝敗を占った。

固唾をのみ、見守った結果・・・

「NTT西日本 名古屋支店」あり!やった!勝者、Karry!

敗者となった友達は「でも天気予報では、愛知は東日本に
含まれてたのに・・」

と、なおもまだ腑に落ちない顔をしながら言っていた。

同じ質問を関東出身の別の友達にしたところ、彼女の答えは
「東」であった。

よくよく考えると関東出身の友達と北海道出身の私はいわば
東日本人。

それとは逆に九州出身の友達は、西日本人。

東日本人からすると愛知県は西に見え、西日本人からすると
東に見えるのかもしれない。

とりあえず、愛知県においての東西論は決着したが、

境界線上にあるほかの県については分からず仕舞いで終わった。

もし東と西の区分の方法を知っている人がいたら、ぜひ教えて
くださいね。

それから、愛知県の方々、もちろんあなた方は西日本人ですよね??

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地雷博物館

アンコール遺跡群から地雷の話にうつそう。
カンボジアに入ってから、手足を失った大人、そして子どもも
よく見かけた。

アンコール遺跡群を鑑賞した翌日に、私たちは自転車を借りて
「アキラの地雷博物館」へ足を運んだ。
アンコール遺跡郡の近くにあるとのことで、地図を片手に、
未舗装の道路に、かなりの労力を使ったが、無事にたどりつけた。

立派な建物を想像していたが、実際は違った。
手作りそのもの、または地雷の怖さが直に伝わってくる建物と
いった方がふさわしいかもしれない。

「アキラ」という名前は、日本名ではなく、カンボジア人の名である。
日本人のような名前だが、カンボジアでアキーラと言うそうだ。
クメール語でアキは、太陽の神を意味する、そして、ラは、速く走る
ものをさす。速く走る太陽神、それが彼の名前の由来であるそう。
アキラ氏は地雷で怪我をした子どもたちを引き取り、家族と共に
生活している。
地雷博物館で生計を立て、地雷の除去に尽力を注いでいる。

彼は生まれたばかりの時、クメール軍に、村で小学校の先生をして
いた父親を殺され、母親をも殺された。よって両親の記憶はない。

クメール軍で引き取られ、教育を受けることもできず、兵士となる
以外、選択の余地はなかった。

彼もクメール・ルージュ政権(ポルポト)の犠牲者の一人だった。
その後、クメール軍、ベトナム軍、タイ軍に属し、多数の地雷を埋めて
いった。
だから、今、彼は懸命に地雷除去に徹しているのだ。

博物館では、いろいろな事を知った。
地雷の種類と除去した数の多さに驚いた。

それから、農業国であるカンボジアでは、生きていくために、
地雷地帯とわかっていても足を踏み入れ、農作物を刈ることが
最優先だという。
運により、地雷を踏むか踏まないか、生死といつも背中合わせの
状態なのだ。
地雷地帯の模擬体験ができるものがその博物館にあった。
「地雷は爆薬を抜いてありますので、命に問題はありません」
書かれていたけど、それでも、冷や汗をかいた。
模擬体験とはいえ、やはり、こわかった。

しかし、カンボジアの人たちはこういう環境下で生活をしている。
地雷が多く、人が住めない村を、アキラ氏が地雷撤去に身を捧げた
おかげで、村に人が住めるようになっていった。
それでも、まだ、アンコール遺跡群周辺には無数の地雷が埋められ
いる。今もなお世界のどこかで地雷や不発弾によって1時間に2人
という犠牲者が出ている。
地雷の真実、怖さをまざまざと感じた博物館だった。

平和とは。命の尊さとは。
博物館を出て、プノンペンへ向かうバスの中で、相棒と深く語り合った。

アキラの地雷博物館 http://peace.s9.xrea.com/

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地域検定

「あなたはどこまで金沢通?」がという文字が目に入ってきた。
パンフを手に取ると、
『第一回金沢検定試験』と書かれてあった。 この金沢検定とは、金沢に関する歴史や文化、経済、産業など、
さまざまな分野から、「金沢通」の度合いを認定する検定試験
だそうだ。なかなか趣のある検定だ。 本来の検定は、自分のもつ能力を高めるために、それぞれ級が
定められている。英語検定、漢字検定が例である。
しかし、この検定は、単なる級取得を目指すというより、雑学
ブームが高じて、物知り博士を目指す、あるいは、地域を知る
ことにより、ふるさとへの愛着や誇りを促すことにつながるの
だと思う。 それが地域おこしにつながる手立て(対策?)だろうか。 北海道もあるのだろうか?と調べてみると、地域検定は
2003年秋、先駆けとして「博多っ子検定」が、そして
「東京シティガイド検定」「京都検定」「札幌シティ検定」
「沖縄検定」と出されているそうだ。 中でも、面白いのが、秋田県大曲の花火関係の「花火鑑賞士」
検定、男鹿市観光協会の「ナマハゲ伝導士検定」といったものだ。 こういったものがあるなんて知らなかった・・・ 金沢検定を受けてみたいが、わたしはまだ金沢をあまり知らない。 石川県に住み始めて約一ヶ月。 知っているのは、伝統工芸である輪島漆器、前田利家、兼六園、 室生犀星縁の町、それから甘エビがうまい!金沢は人情厚い!
それくらいかな・・・ そうだ!地元の友人たちにもこのこと宣伝してみようっと。 好奇心旺盛な私、何かにチャレンジしてみたい(^0^)/ もっと金沢の事を勉強して金沢検定を受けてみるのも楽しいかも。
きっと、ますます金沢の魅力にはまっていくだろうな。
みなさんのところに地域検定はあるかな?
金沢検定 http://www.kanazawa-kentei.com/

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