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ついに両親も

実家より連絡が来た。

パソコンを購入し、インターネット接続したのこと。

両親との距離が更に短くなった。

いまや、携帯やパソコンでメールが主流となっているが、

私と実家とのやりとりはもっぱら、FAX。

パソコンメールがいいよと勧めたところ、

ついに、両親も購入した。

私のブログも見られるようになり、とても嬉しい。

世界中どこにいても、親にメールすることができると思うと、

やっぱり嬉しいよね!

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アジア熱症候群?

体調を崩してしまった。

腰は痛いわ。鼻水はでるわ。頭が痛いわ。

どうやら、アジア熱症候群らしい。

実は、約3週間、タイとカンボジアを旅行して、

先日帰ってきたばかりだ。

私にとって、アジアを旅するのは、実に5年ぶりのこと。

行く前から、胸が躍ってたまらなかった。

道中、毎日が驚きと感動の連続だった。

アンコール遺跡群では壮大な宇宙観を味わった。

チェンマイでは過酷なトレッキングを体験し、

雄大なタイの自然も感じた。象の背中にも乗った。

カンボジアでは、ポルポト時代に生きた人たちの話も聞いたり、

行く先々で思いがけなくろう者、ろう児とも出会ったりした。

カンボジア、タイフード、マンゴージュース、

一泊250円のゲストハウス・・・どれも忘れられない。

帰国してみると、日本では衆議院選挙が巷を騒がせている。

ホリエモンが立候補?何のことやらと、

私だけ取り残されている気がする。

日本のリズムに軌道が乗らない!

体中、疲労感が漂っている。

友達と会って、リズムを取り戻そうとするが、

どうもいまいちだ・・・。

と、マンゴージュースをみかけ、これは!と思い飲んでみたら、

元気が出てきた。

わたしの体はアジアンフルーツを欲していたのだ。

マンゴージュースを飲みながら、徐々にリズムを取り戻そう。

アジア熱症候群。なかなかやっかいなものだ!

この旅行記については、改めて、写真も整理してアップしよう。

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マザー・テレサ

久しぶりに映画がみたくなったので、
「マザー・テレサ」を見に行ってきた。

マザーテレサはインドの聖母として、インドだけでなく、
世界中の人々から慕われている。

わが身を省みず、目の前に苦しんでいる人々を救っていった。
マザーテレサにとってはごく当たり前のことであった。
純粋な信仰心が彼女を崇高な目的に導いたのだろうか。

「私の行いは、大海の一滴にすぎません。
何もしなければ、その一滴も永遠に失われます」

その言葉に共感を得た。
何事もアクションを起こさない限り、何も変わることはない。
最初は、ほんの僅かな事なのかもしれない。しかし、それは
大海のように大きなものへとつながっていく入り口なのだ。

映画を見終わった後、彼女の行動は、
私たちに何を投げかけていたのだろうか-。と考えた。
「あれは、マザーだからできた偉業だ」と賞賛するだけで
終わっていいのだろうか。
私は、彼女からもう一つ大切なことを学んだように思う。

それは、
彼女は彼女らしく、自分の信念を持って、自分の行動を全うした。
彼女らしい生き方を貫いた。
言い換えれば、私たち一人一人も自分らしく生き抜いていくこと、
それが一番大切なのだということ。
他の人にはできない、自分だからできることは必ずある。
それを成し遂げた人生こそ、誇りある人生となるのではない
だろうか。
他人と比べた人生ではなく、自分らしい人生を。
そうマザーが私たちに教えてくれているように思う。

「体は滅びても、精神は死なず」という言葉がある。
マザーが滅した今でも、マザーの精神は世界中に生きている。

最後に、マザーを演じた女優・オリビアに喝采を送りたい。
彼女はマザーの振舞いなどを熱心に研究したのだろう。
演技そのものが、マザーになりきっていた。

映画「マザー・テレサ」公式HPhttp://www.motherteresa.jp/

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わが故郷・北海道

みなさん、お元気ですか?
久々の更新です。長らくお待たせしましたm(--)m
 
さて、今日は何を書こうかな・・・
そうだ、故郷・北海道について、書こう。
 
人は、必ず故郷に、思いを馳せる。
私は高校を卒業するまでは、北の大地・北海道に
住んでいた。
北海道を離れて10年余り。

北海道を離れて、東京にそまりつつあっても、
根は生粋の道産子魂が住みついている。
今でも北海道の方言が出てしまうことも多々。

そういえば、東京にきて、驚いたことがある。

1.コキブリを初めてみた!
 北海道でもCMで「ゴキブリホイホイ」が放映されて
 いるんだけど、 見たこともないので、イメージが
 沸かなかった私。
 初めて見たときは、妙に感動したんだ。
 それでもやはり、虫は嫌い・・・
 
2.梅雨シーズンがある!
 こんなに、ムシムシじめじめしたことってあるの?
 北海道の暑さとは違った暑さなので、つらい・・・
 最近では、関東の 暑さも慣れてきたように思うが、
 梅雨シーズン到来とか梅雨明けなど、まだ
 体では覚えていないようだ。
 
3.雪が降っただけで大騒ぎする!
 北国に雪なんて当たり前。吹雪もへっちゃら。
 日常茶飯事。
 しかし、東京だと雪が降るだけで、交通にも影響が及ぶ。
 不便だ・・・。

4.東京の冬は寒い!
  北海道は寒いけど、心地よい寒さなんだ。
  零度下であっても、しみるような寒さはかえって寒くないのだ。
  東京は高層ビルが多いので、風がどうしても強くなる。
 
同じ日本でもこんなに気候がちがい、生活様式も違ってくる。
不思議なことだ。

道産子人は、本州を内地ともいう。
内地に住みたい、未知の世界の土地で自分の力を試したい。
そんな思いを、両親に訴えたあの時。
母は何も言わず、私の背中をぽんと押して、送り出してくれた。
 
あれから10年以上。
ここ東京にも住み慣れてきたが、やっぱり私の精神(こころ)の
帰る場所はちちははのいる北海道にある。

そして、私が住んでいる東京は第二の故郷である。
今度は東京について書こう。

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わが恩師

学生時代にお世話になった恩師と一年ぶりに再会した。
恩師の顔を見るやいなや懐かしさと安堵感を覚えた。

私が学生だったころから、その恩師は常に手話の必要性を
生徒にも、
他の教師にも訴えていた。
若さと正義にあふれていたが、年頃のわたしたちはいつも
恩師に逆らってきた。

それでもなお、私たち学生に常に耳を傾けようとしてくれていた。

メキシカン料理を食べながら・・・色々と話に花が咲いた。
私も教育に関わっていたことから、共通の話題にのぼり、
お互いの
考えを語り合った。
わからないことはお互い質問し合い、答え合い、不思議なことに、
教え子と恩師の垣根はこえていた。

充実した時間だった。

「人格の種」を植え付けた分だけ、学生は伸びる。

この言葉こそ、まさに私の恩師、そのもの姿だ。
私がここまで、成長できたのも、恩師のおかげでもある。
恩師から人格の種をもらい、沢山の水、栄養をもらい、色々と
示唆を
与えてもらい、人格を育ててもらった。

聴者とかろう者とか関係なく、教師というのは人格で決まる。
こども一人一人のそれぞれの個性をそのまま受け止めてくれる、
そういった教師こそ真の教師像である。
今、この時代において、そういった教師こそ必要とされている
のである。

恩師と別れた後、私は感じた。
教え子の成長が恩師に応えることにつながる。
私の恩師のように、教え子の成長と幸福をいつまでも願い、
心に抱いていける、そういう自分になっていきたい。

この場を借りて・・・
先生、本当にありがとう!
そして、これからもよろしくお願いします。

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学びの夏

この猛暑の中、私の友人たちは、大いなる夢を抱き、

通信教育の一課程であるスクーリングに参加している。

玉川大学、仏教大学、創価大学など学ぶことを求める
人たちが各大学へ集っている。

仕事をもつ傍ら、休み返上で学ぼうとする彼らに改めて
敬意を表したい。

かつてわたしも、創価大学の通教生として学びの夏を乗り切った。

睡魔と闘いながら、講義を受けたり、夜遅くまでレポート作成に

励んだりした日々が懐かしい。

学ぶ精神を忘れず、自分に挑戦し続けることには、必ず、
意味があるのだ。

かの有名なソクラテスの言葉に

「人間の最大の幸福は、日ごとに得について語ることであって、

魂の探求なき生活は、人間に価する生活ではない」

とある。

この言葉の意味には、勉学に励み知性を身につけていくこと、

そこに幸福の入り口が開かれると言っているのではないだろうか。

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インドの詩聖・タゴール

「この世は味わい深く 大地の塵までが美しい」

――――これは私が好きな詩の一節である。
心にメロディを奏でるような気分になる。

ラビンドラナート・タゴール
彼は東洋人として、初めてノーベル賞を受賞した文学者で

詩人である。

タゴールはインドの西ベンガルで生まれた。
西ベンガルは、1971年に東パキスタンから独立し、

バングラデッシュとなった。
今から5年前、私はバングラデッシュへ行った。
当時はバングラデッシュについてのガイドブックなど、

書店にあまりなく、私にとっては、タゴールの生誕地と
いうぐらいで、未知の世界だった。

強いて言えば、
1997年デンマークでおこなわれた世界ろう者競技大会で
(ろう者のオリンピック「デフリピック」の前身)
知り合った友人がいるくらいだった。
バングラデッシュに行った際に、その友人から、
国歌がタゴールの作った詞であることを聞いた。
また、彼の国では、みんな口をそろえて、タゴールは偉人で
あると言う。

        「恢復期」

 この世は味わい深く、大地の塵までが美しい――――
 こんな大いなる讃歌を 私は心に唱えてきた
 これこそは 心みたされたものの生のメッセージ
 日ごと 私は なにがしかの真理の贈り物を受け取ってきたが、
 その味わいは 色あせることはない。
 そのために 黄泉の国への別れの岸辺に立って 
 なお かのほめ歌がこだまする―――

晩年に書いた詩。
冒頭の一行は、
人生のさまざまな苦難を味わい、その全てを人生の感謝として
転換しえた
境地になった時、生まれたものではなかろうか。
今のわたしは、物質的なものにしか「美しい」と表現していない。
タゴールのいう「美しさ」のほんの一部に過ぎない。
改めて、タゴールの生命の偉大さを感ずる。

       「百年後」

 いまから百年後に
 わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人
 君はだれかー 

タゴール没後、今、私たちが彼の詩を読み、感動している。
時空を超えても彼の心は私たちに伝わってくる。

世界と人生を愛したタゴール。
生命の詩人タゴール。
もっと、彼の詩をきわめて自分の生命を磨いていきたい。

バングラデッシュ国歌 http://www.hellobondoo.com/tagor.htm

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映画好きな読書人

映画といってもその内容はさまざま。

ヒューマンドラマ、SF、サスペンス、恋愛、ホラー etc…

私の場合、その日の気分に合わせて見るものが違ってくる。

刺激がほしい時は、SFものを見る。

何か思考を深めたい時は、ヒューマンドラマやドキュメンタリーを
見て、
ヒントをもらう。

また、映画を見るときは、ストーリー性や出ている俳優の演技力
にも
注目する。

これは、読書人の私としてのこだわりなのかもしれない。

というのも、映画は、作り上げた映像で視覚に訴えかけてくる。

そのため、目で捉えたものがそのままインパクトとして残っていく。

だから、私はその視覚要素以外のストーリー性や演技力という
ものに
重きを置くのだ。

もちろん、映像技術が映画の魅力でもある。

私も実際、映画を見て感動し、映像から刺激を受ける。

ただ、例えば、ある映画を見た後、その原作となる本を読むとする。

本の中に、現れてくる登場人物の風貌などは、多くの人が、
映画で出演していた俳優を想像するだろう。

もし、本だけを読み、映画を見ていなければ、登場人物等、

自分の想像で作り出した独自のものが浮かび、他の人と
同一のものは想像できない。

本の場合は、特定のストーリーに自分の想像力で、独自の

アレンジが加わっていく。

ここに映画と本との大きな違いがみられる。

私にとって本の存在は、やはり想像力を強化させる意味でも

欠かせないものなのである。

と、ここで一点!

今回、私は、映画批判をしているのではなく、

読書好き人間として本をどれだけ愛しているかということを
書きたかっただけである。

映画好きのみなさん、どうぞ誤解しないでね!

映画は芸術の一つとして、大切な文化だし、

私も映画は大好き!

でも、やっぱり・・・本が一番好き!

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